本ウェブサイトでは、スタイルシートを使用しております。このメッセージが表示される場合には、スタイルシートをoffにされている、またはブラウザが未対応の可能性があります。本来とは異なった表示になっておりますが、掲載している内容に変わりはありません。

以下のリンクより、本文へジャンプができます。

HOME > カウンセラーの対談 > カウンセラーの対談 第25回

カウンセラーの対談「第25回 井上祐紀氏、新倉カウンセラー対談<第2回>」

第25回 井上祐紀氏、新倉カウンセラー対談<第2回>

井上祐紀 プロフィール

井上祐紀氏 児童精神科医 精神保健指定医 医学博士
現職:国立精神・神経医療研究センター精神保健研究所知的障害研究部 客員研究員、島田療育センターはちおうじ 診療科長

平成10年岐阜大学医学部卒、同年国立国際医療センター内科研修医、平成12年福島県立医科大学神経精神科診療医、平成17年国立精神・神経センター精神保健研究所知的障害部流動研究員、平成20年同診断研究室長、平成23年4月より現職。

主な研究テーマ:
*AD/HDの神経生理学的病態研究
*AD/HDの臨床評価尺度の標準化
*発達障害児の家族支援
*発達障害児の認知行動療法

 

インタビュー第2回

井上祐紀(以下 井上):多動をコントロールすることであっても、これがちゃんと集中できている感じなんだとか、何か自分の能力を最大限に発揮しパーフォマンスができるということがイメージできないんですよ。でも5分はできるでしょって言って5分ぶんの課題をきれいに仕上げることができたら、あっ、これが集中することなんだなとか。

新倉カウンセラー(以下 新倉):その子にとってのチャレンジレベルを与えて、それが達成されたら褒めて強化してあげて成功体験を積み上げていくことでしょうか。大人の期待がその子にとって妥当なものなのかを検証して見直していくことは大切だと思います。ただ、公立の小学校は一クラス約35人います。その集団の中で一人の担任が問題行動や懸念のある複数の児童のチャレンジレベルをアセスメントして、その子どもにあった対応をしていくことは現実的にかなり難しい気がします。だから、「年齢相応」の考えかたが教師側にまずあって、そこから出発して、この子はこれが出来ないという所へ意識が向きやすい。そういう先生方にどうアドバイスをしていくのでしょうか?

井上:訪問型の支援というのはお医者さんがなかなか行くことが出来ないので、直接病院へいらした先生に対してですが、そこで、まぁ何らかの問題行動を呈しているお子さんに対する支援の仕方ということになるんですけれど、どうしてもクラス運営の方針とぶつかってしまう。まぁ大体決まり文句としては「この子だけにはかかわれません」とか「この子だけ特別扱いはできません」というのが多いです。

新倉:そうですよね、私も教師から相談されるときに、その言葉はよく聞きます。で、そう言っている先生方に対してどういう風にもっていくのですか?

井上:いまクラスの中で大人が困っている、問題行動が集中している子のアセスメントをしてあげることが大事だと思いますし、何でも同時処理したがるんですよね。やっぱり問題行動も起こしてもらっては困るし、かといって周りと同じように振る舞って欲しいしってことですよね。つまり期待度も下げないけれど問題行動も起こしてもらっちゃ困るっていう。我々にしてみれば無茶なことだと思うんですけれど、とにかく同時処理じゃなくて継時処理なんですよねと、そして順番ということですよね。だから教師の方々にはこの子の問題行動のリストを作ってもらう。例えば授業の妨害をする、言葉によるちょっと荒っぽい言動をする、多動の問題、そういう中で一番緊急度が高い問題、緊急度が高いものをそこから順番にクリアーにしていけばいい。実はその緊急度が高いものが収まっていくことが子供にとっても、先生もそうだし、何よりも見ている周りがほっとするってことですよね。だから徐々にこの子への期待値をアップさせていきましょうと。だから僕なんかに言わせれば言葉づかいの問題っていのは実は優先順位がすごく低い。

井上祐紀氏、新倉カウンセラー対談新倉:私が子供の頃に担任に面と向かって「死ね!」とか「うぜえ!」なんて言葉を吐く子供はいなかったですよ。勿論、子供同士では、「あの先生バカじゃねーの」みたいなことはあったけど(笑)。いまの時代は何が違うのでしょうかね?

井上:それよりも暴力とかの行動のほうが優先順位が高くて、徐々に言葉の問題に関してはアプローチしていきましょうねと。例えばここはクラス運営というよりは教育方針にも若干入っていかざるをえないところもあります。教育側の信念ですよね、教育者側が持っているその信念というものにも微妙にかかわっていくので、例えば先生はすべての子供たちに同じように振る舞うべきだっていうことだったりとか、あとはある子が暴言をいったら、他の子が必ず真似をするんじゃないかとか、恐れていらっしゃるんですね。その先生方もどんなことを恐れていらっしゃるのか、何を一番恐れいらっしゃるのかという懸念も明らかにして、だったらこの方法でいきましょうと、先生方の一番の心配ごとを解決しなければならない。やっぱり同時には難しいけれど順番にならできますよと。

新倉:そういう支援の仕方を提示してすんなりとクラス運営の方法や教育方針を変えていただけますか?教師側にも彼らの真理というか言いぶんがそれなりにあると思うのですが。

井上:はい、いままでお持ちだったクラス運営や教育方針をなかなか変えていただけない場合もあるんですけど、逆に言うと変えないってことはまだ教師側にも余裕があるのかなと。「先生、まだいけると思っているでしょ。まだこの子を頭ごなしにしかってもいけると思っているでしょ。だったら先生、それで少しやってみたらいいじゃないですか。もしそれがうまくいくのであれば、この子の問題行動はそんなに時間をへずして改善していくし、先生が規範意識を高めるということであれば、大人が高い期待を持ち続けるっていうことでうまくいくならいいけれど、うまくいかないときは僕の言ったことを是非ためしてみて下さい」って言います。学校の先生もとにかく、まず暴力がないだけでも順調ですとか、段々ポイントを絞ったものの見方をして下さるようになるのでやっぱり問題行動の優先順位をつけていくこと、それからもうひとつは教育者としての伝統的な振る舞い、こういうときには筋を通していいんじゃないでしょうかーとか毅然とした態度で接していただいて良いのではないでしょうかとか、どんな行動にどんな行動でいくといいのかガイドラインを問題行動別に確認して差し上げるということもやっている。

新倉:なるほど・・・先生もそういうちょっと交通整理みたいなことをやってあげているのですね。こういうときにはこれ、ああいうときにはあれみたいな(笑)。SCの仕事も交通整理が上手に出来るかどうかが重要になってきます。学校臨床で傾聴・共感一辺倒でやっていては何も動きませんからね(笑)。

井上:それは主に3つの分類をするんです。それは僕がいま一番注目しているハーバード大学の准教授のグリーン先生という人の提唱している方法なんですけど、プランAからBCと3つの分類をしてそれぞれの問題行動にどんな対応するのかということをやっているんですよ。で、一番伝統的なダメなものはダメだっている大人の期待をぐっとおしつけていく、あてがっていくようなやり方をプランAと言います。恐らくね、プランAはアダルトのAじゃないかと。

新倉:大人側の事情でのプランなんですね。ダメなものはダメという。それではプランCはチャイルド?

井上:はい、おそらくそうだと思うんですよね。例えば、けんかもひどい多動もひどい、でお勉強もなかなか苦手であるという場合に、お勉強の問題っていのはすぐには取り掛かれないですよね。この年齢からすると、この漢字の書き方はダメなんだけど、トメ、ハネ、ハライまで先生が気にしているとその子はそこでキレちゃうんじゃないですかと。この子には漢字のトメ、ハネ、ハライは無視していいじゃないですかと。一生懸命書いているのであればいいじゃないですかと。でもそれはとりあえずの分類であって、ずっとそのままではないし、先生方がこうあるべきだというのをこちらも頭ごなしに決して否定しているわけではないし、いまのこの子にとってはトメ、ハネ、ハライはプランCってことで、大人の期待はとりさげて子供側の事情をとにかく優先して、ほとんど期待をしないか期待をさげてしまうので、こういう状態をプランCと。上手に使っていけばここはかなり交通整理ができる。かなりの問題行動がプランCでOKになるわけです。

新倉:プランBというのはその折衷案みたいなものなのでしょうか?

井上:Bは大人側の懸念も子供側の懸念も両方くっつけて解決していく方法。

新倉:例えば具体的にどういう方法なのでしょうか?何かわかりやすい例で教えていただけますか?

井上:そうですね、例えば校庭でドッチボールがしたくて遊びにいれてもらいたかったんだけど、みんなが仲間に入れてくれなくてキレちゃってぶんなぐっちゃったみたいな暴力沙汰を起こす子がよくいます。これはほっとけないんです。でも、何で殴ったんだ?殴っちゃダメだろう!というプランAでいこうとするとうまくいかないんです。でも、ん、そっかそうかみんなが遊んでくれなくて腹が立っちゃったんだから仕方ないよね〜なんてやっていてもこれいつまでたっても変わらない。

新倉:AでもCでもダメだと。そこでBが登場!(笑)。

井上:緊急度もかなり高いのでその場合にはプランBがあってまずしっかり事実確認をするなかでこの子が暴力を起こしてちゃうときって、どんなこの子にとっての事情があるのか?ということですね。学校の先生はすぐに友達に手を出すとか、すぐ友達に暴力をするとか、その暴力の結果だけをどうしても見てしまう。

新倉:そういう傾向が強いかもしれませんね。仲間に入れて欲しかったというその子の理由を考えることがなかったり、たとえその理由がわかっていても、暴力はダメだろ〜と(笑)。

井上:そうですね、仲間に入れてもらえなかったことで、この子はどんな気持ちになっちゃったのかとか、どんなことを考えちゃうのかなとか、例えばすごく拒絶されたと思うのか、バカにされたと思うのか、俺がドッチボール下手くそだからだとか入れてもらえないとか、遊びに入れてもらえなくてイライラしたことをもっと具体的に膨らませていくべき問題だと思います。この子にがどうしてそこまで強い反応を示してしまうのかを、子供の側の事情を明らかにしていく。逆に言うと、この子はどんな懸念を普段からもっているのか、友達には嫌われてしまうんじゃないかとか、自分は何をやらせてもへたくそだとかとか・・・普段から自己卑下と拒絶への恐れをずっと持っていながら生活していて、それが遊んでもらおうと思ったときにうまくいかないと悪化するのかもしれないねということが分かってくると、それが子供側の懸念なんですね。でも、やっぱり大人側の懸念、どうして放おっておけないか、大人側の懸念も伝えていかないといけない。例えば、子供にしてみれば、いいじゃねぇか俺が誰をなぐたって関係ねーだろう。俺がムカついたときは好きなようにやらせろ〜!これで何が悪いんだ」というような子いますよね。

新倉:います!(爆)もう開き直ってしまうパターンですね。そうなると、教師はダメなものはダメ、要するに暴力はダメでしょという話をしてプランAになってしまいますね。でも、本当はそうではなくて、大人側として本当にこの子のためを思った懸念を伝えていく姿勢が必要になってくるわけですね。

井上:僕がすごくよく使う技法は、僕は誤解されるんじゃないかと思ってすごく恐れている。何の誤解かというと、あなたって本当は暴力を振るうような人間じゃなかったんじゃないの?と。殴っちゃったこの子のことは君嫌いだっけ、どうだっけ?と。この子とはこれからどうしていきたいの?とひとつひとつ落ち着けていく。もうこの子たちとは遊ばないことになっちゃうかもしれないけど、それでいいの?とか、また明日から一緒に遊びたいという気持ちがあるというのであれば、この子たちからどう思われているのか?どう見られるのかはこの子にとって重要になってくるよねと、ひとつずつそこを押さえていく。で、そうだそうだ、この子たちと僕は仲良くなりたい、明日から遊びに入れてもらいたいということになれば、段々面接をするなかで両者の距離はぐーと縮まっていく。

新倉:つまり、大人側から見た懸念は、君が暴力をふるう状況を続けていくと本当は優しいのに暴力ふるう子だってみんなに思われてしまって、みんな遊ぼうなんて誘ってこなくなっちゃうんじゃないの?そういう状況は、先生まずいと思うんだけど、君はどう思う?と大人側の懸念をそういう形で伝えるわけですね。それがプランB。

井上:そう、大人側の懸念を伝えて子供側にも考えさせる。2つのストーリーがあるわけですよね、このけんかというものを巡って。子供側にも理由と懸念があり、大人側にも懸念がある。この大人と子供、これを両方いっぺんに何とか丸く収まるようにやっていくのが、解決するにはどうしたらいいんだろうということを子供と一緒に考えていくのがプランB。所謂、伝統的な大人の接し方というのはプランAで、それが一番多いけれどかなり圧縮せざるをえなくて、でもプランAをやらざるを得ないときもあるんですよと先生がたには言います。それはもうこれは怪我をしてしまうと、一刻の猶予もならないというときには遠慮なく大声を出してやめさせて引き放していただいて結構ですと。安全性の問題が少しでも懸念されればプランAで結構です。でも、先生方、プランAでなくてもいいものに対して大声を出したりしていませんか?と。最もプランAでなくてもいいことは、僕は教師に対しての反抗的な言葉「うるせー」とか「うぜえ」とか、これ全然プランAでいく必要がないんですよね。「何だその言い方は!」とか僕にしてみればプランCで行けばいいと思うものを、プランAで行ってしまってわざわざ状態を悪化させてしまうことがありますよね。

新倉:先生が今おっしゃったようなプランAで行く必要がない所を、教師に対する暴言で反応するような先生って多いのでしょうか?私は勤務校が複数ありますが、先生方を見ていて、どちらかというと昔のガツンと怒鳴る先生は昨今少なくて全体的に大人しい印象を受けますが?

井上:えーと、結構その問題行動を起こすお子さんを担当しているうちに先生たちの疲弊具合というのがやっぱり進んできちゃって、本来先生方も元々そんな人じゃないんだけれど、この子を自分が担当しているうちになんとかこの子を正さなければいけない!みたいな気持ちになっちゃって(笑)。びっくりするのは、「もっと3年生らしく」なれるようにとか、彼らは進級に対してものすごい思い入れがあるんですよね。中学校進級に向けてこうしたいと思いますとか、何歳にもなったら、何年生にもなったらというのがすごく大きいんだろうなと。だから、やっぱり自分が担当しているうちになんとかしようとして、彼ら自身が自分をしばりつけてしまって疲弊状態になっています。どんな人間でもそうですけれど、疲れていたら子供に優しくできないですよね。私もそうです。疲れていて、なめられてなるものかという気持ちがだんだんと出てきてしまうということはあると思うので、だから僕が教員研修でいつも言うのは、「なめられない大人にならなくてもいいです。なめられても平気な大人になって下さい」って。それによって子供も緊張感を和らげていくので、結果的に和やかな相談につながるんじゃないかと。

井上祐紀氏、新倉カウンセラー対談新倉:そうですか・・・私は少し違った見方をしていて、教師と子供たちの関係を見ていると、子供になめられている先生はクラスを上手に収められないと思っています。学級崩壊の担任の先生は、うちには○○君と△△さんがいるから大変だと訴えますが、そういう子供たちも進級して別の担任に変わると嘘のように収まることがよくあります。問題行動を呈する子供がいるから収められないのではなくて、その教師に力量がないからだと思います。「なめられていない」って、子供たちから恐れられているのではなくて、尊敬され、信頼されていることじゃないかなと。教師と子供たちの間で一定のルールが存在している。そういう先生は、むやみに怒鳴るのではなく、問題行動に対して子供と解決していく力を持っています。双方の関係性がある。だから子供たちから非常に親しみを持たれているし人気がある。一方、学級崩壊の先生がたを見ていると、完全に子供たちになめられちゃっている。尊敬も親しみも持たれていない状態。問題行動を起こす子供たちだけでなく、他の児童からも。誰もが好き勝手にやりたい放題だし、学級はいつもざわざわ、ガタガタ(笑)。「最初が肝心ですよ」って私は先生方には話しますが、崩壊するクラスは、1学期の早い時点でもうダメです。そうなってしまうと、その後、先生が何をしようが子供たちは良い方向へは反応しません(苦笑)。

井上:やっぱり女性の先生であったりお年をめされていたり、身体が小さかったりっていうと、逆にかえってはっちゃきになってこまごまと注意をして問題行動が軽度のうちから分からせなきゃいけないという人も中にはいますが、でもすごく腰が据わっていてすごくグラウンディングしていて落ち着いた人だなと思う先生もいて、やっぱりできれば自分がカーとなりやすい所をやっぱり先生たちにも認知的なコーピングをしてもらいつつ、子供たちに対しても落ち着いて行動してもらえるといいかなと思います。

新倉:そうですね、現場で見ていて学級運営が上手な先生とそうでない先生の差は大きい。上手な先生は、怒るときはしっかり怒る。いま起こっていることに対して問題があって「君の、あるいは君たちの<これ>はどうなのかな?と投げかけて、望ましくないのであれば、じゃ何が望ましいの?」と焦点をしぼって怒るわけです。下手な先生は、いま起こっていることに対して見逃しや我慢をしているうちに、段々と自分の感情が高ぶってしまって「何やっているんだ!」とぶつけてくる。自分の感情の発露としてね。1年生ならともかく3年生位になってくると、先生が勝手に切れて怒っていると子供の方もちゃんと知っている。だから、子供は反応しません。結果、益々騒がしくなって怒っても効果がないという悪循環が起こる。だから、さっきおっしゃっていたような教師の認知的なコーピングスキルをもう少し全体的に上げていただくと先生方もクラス運営がしやすくなると思います。何か問題が起こったときにどういう風にそれに対してコープするかというグラウンドルールが教員の中で共有されていくと円滑に行くのかなと思います。

井上:なるほどね、すごく大変な仕事だと思いますよね。我々医療系、心理系はやっぱり先輩の色々な指導を受けながらやっているところがあるけれど、むしろね、学校の先生がたは大変。彼らすごく孤独ですよね。なかなか相談も出来ない場合が多いですし、あとは先生たちのことばっかり言っちゃってあれですけれど今の現状の人数配分っていうのはこのプランABCにせよ、この実行じたいが難しいと思うんですよ。いますぐに、教師の数を倍にして今のクラスの人数を半分にしたっていいですよ。それで初めて、今いっているようなことがもっと現実味を増すのかもしれない。

新倉:そうですね。例えば特別支援も国の方針としてはやっていきましょうと掲げていますが、現状で公立の通常級でやるのは不可能に近いと思われます。ちょっとした支援が必要な子供たちは結構な人数いるのに彼らは置き去りにされている。一人の担任が35名前後見ているので、支援を必要としている子供たちに担任が手を伸ばせるノウハウも心理的な余裕もない。例えば、ADHD児の場合クラスルーム内での環境調整ってありますよね。てっとり早く出来るのに、現状のクラスルームは35名の机がぎっしり詰まっていてスペースがない。そんな中、先生の机の前に机をつけるとか、廊下と入口のところに机を配置する程度のことしかできません。児童数と教師の割合とか教育現場でのハード面と教師の特別支援研修などソフト面での改革が進んでいかないと通常級での支援は難しいと感じます。

井上:そうですね、まぁ、私らがお願いするのは本当に半分以上無理を承知でお願いになっちゃうんですよね。まぁその背景で先生方現状でそんなことできないよという構造的な問題があるということを分かった上で、それでもお願いっていうところなんです。一概に先生方を非難するわけにはいかないですね。寧ろ、先生方をちょっとサポートして動機づけを高めてあげないといけないですよね。

新倉:子供の困り感もそうですが、教師の深刻な困り感が学級によってはあります。いま、先生がおっしゃったように、その教師の支援をどうやっていくのかも重要な部分ということです。子供たちの扱い方がわからない、周りへなかなか相談ができない。先生方は、お忙しくて物理的な時間が取れないので研修を受ける余裕もないと思うのですけれど、さきほど先生が教員向けの研修をされるとおっしゃっていましたが、それは定期的なものなのですか?

井上:うちの療育センターには有志の教師たちが2〜3ヶ月に一回顔を出していただいますし、近隣の市町村からの教員研修は毎年あります。そこでプランABCの話をして、まず問題行動を起こしている子供と向き合うことから、ファーストコンタクトをどうするのかを徹底的に伝えていかなきゃと思っています。勿論、35人いっぺんに濃厚なアセスメントや濃厚な介入をするわけではなくて、やっぱりポイントはここだぞという所に気付いていただいて、僕は5分でもいいから、その子のクラスの中でのニードを拾いあげて、授業中どうだいと声をかけたり、何か勉強の中でわからないと思ったときにどうすればいいのかとか、対人関係の中でちょっと困ってそうだなとか気になるときに、少し声をかけてあげて放課後に数分でいいのでそういう難しそうな子供たちに接する時間を設けることによって、結果的には時間が節約できる可能性はあるなと思います。僕らがクリニックに来た人を支援するのは容易いのですが、その子ひとりのことをやっていればいいわけですから、恐らく一番重要なのはクラス運営のスーパービジョンだと思います。

新倉:なるほど、クラス運営のSV、現実的にはこれはまだないですよね。あっても、熱心な管理職や学年主任が荒れているクラスにときどき教室へ入り助言したり、SCが授業観察をして子供たちへの接し方の助言をする程度ですね。

井上:いゃ、ただここに踏み込んだような支援をせざるを得ないと思っていて、やはりクラス内での集団力動まで、いつもこの子がこうするとこうなるんですよとか、この子が影のリーダーが誰でとか、ちょっとポイントとなる保護者さんが誰でとか、そういった所まで含めたサポートができるような体制にもっていかないと本当に少なくても公立学校の先生たちは益々疲弊していくと思います。クラス運営についてのスーパービジョンには我々のような医療関係者が少しかかわっていくと。

新倉:それはすごく大事なポイントだと思います。学校内で学年主任がいたり、校長や副校長がいて学級運営をしていくうえで指導や助言はあります。でも、それはあくまでも教員の視点での上からの言葉。今、先生がおっしゃった医療の視点でSVでタッチしていく部分も必要かもしれませんね。教員とは異なった視点でクラス運営に役立ててもらうノウハウを伝える機会があればいいですね。

井上:そうですね、だからその我々のところに来た対象となっている子供だけではなくて、この子を刺激してしまいがちな周りのお子さんとか、先生がこの問題行動を放っておくとこういうような悪影響が周りに広がるんじゃないかとか、色々な懸念が過剰になっていくので、そこら辺の認知的なコーピングも含めて具体的な対処法とかを含めてもう少しクラス全体に対する方針、複数の人数対するプランABCっていうのもあるので。

(つづく)

▲ページの先頭へ