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カウンセラーの対談 「第34回「吉福伸逸の言葉」出版記念 執筆者座談会 <第2回>」

第34回 「吉福伸逸の言葉」出版記念 執筆者座談会 <第2回>

新海正彦 プロフィール

アウェアネスアート研究所主宰。吉福氏との出会いは1970年代後半、氏が教えていたサンスクリット語講座に参加したときのこと。20数年を経て再会して以後、晩年の10年にわたって氏のセラピーの現場を体験しアシスタントを務める。
2013年より向後善之氏、ウォン・ウィンツァン氏とともに「体験的グループセラピー」を開催。個人的には不定期で各種ワークショップ、セミナーなどを開催。中でも映像、音楽などを用いたラnイブパフォーマンスは、楽しみながら深い気づきがあると評価されている。

 

ウォン・ウィンツァン プロフィール

日本トランスパーソナル学会常任理事。ピアニスト、作曲家、即興演奏家。1949年神戸生まれ、1歳より東京で育つ。
19歳からプロとしてジャズや前衛音楽などを演奏。1987年 瞑想の体験を通して自己の音楽の在り方を確信、90年より超越意識で奏でるピアノソロ・スタイルでの活動が始まる。92年インディーズ・レーベル「サトワミュージック」を発足し、30タイトル近くのCDをリリース。コンサート、とくに即興演奏では、音の力でオーディエンスの深い意識とつながり、静寂な音空間を創りだす。
2005年に故・吉福伸逸氏に邂逅、トランスパーソナル心理学に傾倒する。以後、吉福ワークでアシスタントをつとめる。現在、吉福ワークの流れを継ぐ「体験的グループセラピー」を向後善之、新海正彦と、また、アートや創造性にフォーカスした「魂の表現ワークショップ」をウォン美枝子とともに行っている。

サトワミュージック ホームページ : www.satowa-music.com

 

新倉佳久子 プロフィール

臨床心理士。外資系企業勤務後、渡米。カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)心理学科学士号。ペパーダイン大学大学院心理学修士課程修了。 帰国後、心療内科勤務を経て、現在、東京・恵比寿のカウンセリングオフィス「ハートコンシェルジュ」でカウンセリングを行っている。
東京都スクールカウンセラー、私学スクールカウンセラー、区の保健センターで思春期家族教室の講師を兼務。産業領域においては、産業医を中心としたメディカルチームの一員として中東、東南 アジア、オセアニア諸国で働く海外駐在員のメンタルヘルスケアにも携わっている。

 

向後善之 プロフィール

神奈川県に生まれる。石油会社での会社員生活の後、渡米。CIIS(カリフォルニア統合学大学院)では、統合カウンセリング専攻。
サンフランシスコ市営の RAMS(Richmond Area Multi-Services)他でカウンセラーとして働いた後帰国。現在、東京恵比寿のハートコンシェルジュでカウンセリングを行うとともに、アライアント国際大学・カリフォルニア臨床心理学大学院日本校で臨床心理学を教えている。
2013年よりウォン・ウィンツァン氏、新海正彦氏とともに「体験的グループセラピー」をファシリテートしている。
著書に『自分をドンドン傷つける『心のクセ』は捨てられる!』(すばる舎)、『人間関係のレッスン』(講談社現代新書)、「カウンセラーへの長い旅――四十歳からのアメリカ留学』(コスモス・ライブラリー)他。

 

座談会 第2回

ウォン・ウィンツァン(以下 ウォン): あのころ(吉福さんがジャズをやっていた1960年代)のミュージシャンみんな暗い顔しているよね。ぎりぎりでね。

新海正彦(以下 新海):みんな、ぐーっと追いつめていくような感じでね。

ウォン:ゾーンなんだよ。そうとう追いつめてゾーン状態になるんだけど、それだと持続できないんだよね。

向後カウンセラー(以下 向後):持続しないから、アイデンティティの破壊に繋がっていくのかな?

ウォン:いつか破綻するんだよ。

新倉カウンセラー(以下 新倉):そりゃあそうだよね。人間なんだから。

向後:でも、そのおかげで、存在の力を強くできる訳でしょ。

ウォン:吉福さんが、「ゾーンに入るためには、自らの身体と自我を激しいストレス状態にさらす必要がある」って言っているじゃない?彼がゾーンの中にいたときというのは、そういうことだったんだと思う。

新倉:こうやって振り返ってみると、吉福さんは、自己体験を語っていたのかもしれないね。

ウォン:そういう体験があったからこそ、吉福さんの言葉にはリアリティがあったんだよね。

新倉:そうだねぇ。

向後:吉福さんは、最後は小乗仏教に帰っていくんだけど、あれもわがままな話だよね。

一同:ははは。

向後:だってさ、トラパって言うと、大乗仏教的なところがある。全ての人々を全ての生き物たちを救いたいという心なわけだから。だけど、最後の数年間は、吉福さんは、「そうじゃなくて個人だ」みたいなことを、そして、「宇宙とのつながりなんて、そんなものは、どうでもいいんだ」みたいなことを言っていたよね?つながりを感じるのは、せいぜい目に見える周りの人たちと自然ぐらいなもんだよみたいなこと・・。

ハワイでの吉福さんウォン:亡くなる前に言っていたんだけど、「自分の体験したことは言える。でも、これまで、自分のロマンのなかで言ってきたこともたくさんあるんだ」ということ。このことは、すごく言っていたね。

向後:それが、「トラパで言っていることと現実は違った」という言葉に繋がっていくんだろうね。

ウォン:で、そのときに言ったのが、「結局は、母親との関係に収斂するんだよ」ということだよね。

新倉:そういう風に言ったの?

ウォン:言った。ハワイの吉福さんの家で、みんなで話していたら、寝ていたはずの吉福さんが出てきて・・。最後の力で、ふらふらになって出てきたんだけどね。それを、しゃべるんだよ。それで、「結局は、母親との関係に収斂するんだよ」と言ったんだよね。

一同:へ〜。

ウォン:それを言ってさ、「あ、もう疲れちゃった」って帰っていくんだよ。それは、もう本当に印象的な出来事だったよね。

向後:吉福さんは、たくさんの印象的な言葉を残してくれたよね。今回の本は、その言葉をピックアップしてまとめたものなのだけど、いろいろなところで、「吉福さん関連本」を出してくれたらいいと思うんだよね。僕は、僕らの本が起爆剤になれば良いと思っているんだよね。

ウォン:僕らが面白いと言っても説得力がないんだけど、うちのスタッフのIさんが、「これ、面白いですよ」って言ってて。

向後:帯を書いていただいた藤田先生には、感謝だねぇ。原稿を何度も読んでくれたんだってね。

新倉:何度も読んで、それで、あの文章を書いてくれた。最初に藤田先生に帯の文章を頼むとき、「新倉さん、それは、書店に並ぶ本なのですか?」って聞かれちゃった(笑)。

新海:藤田先生が、ああいうふうに書いてくれたのは分かる気がする。4人それぞれの吉福さんについて書いているからね。

ウォン:表紙もなかなかいいできになったね。

向後:あれは、もうみなさんにお任せですよ。そういうセンスないから僕には。だから、新倉さん中心にお願いしたんだよね。

新倉:あっ、でも最後に一応サンプル見たでしょ?PDF見る限りでは、悪くないと思ったんだよね。

ウォン:そして、なによりも、サブタイトルがあれになってくれてよかった。新倉さんのアイデアでね。

向後:あれよかったよ。僕の考えたのは、全員に却下されたからね〜。僕のは、「吉福さんは、なぜトランスパーソナルから離れていったのか?」でしょ?だめだよね。

一同:ははは〜

新倉:向後さんの案は、終わったみたいになっちゃうのでダメでしょ。

一同:ははは〜

ウォン:心の4つのレベル(※1)とか、新鮮な概念だよね。

新海:そうだよね。しかしさ、最初、4つのレベルのところを書いてほしいって向後さんから頼まれた時、なんで僕に振るかな?って思ったよ。よくわかっていなかったしさ。最初指宿で聞いてよくわかんなくて、結局最後までよくわかんなかった。それなのに、なんで僕に振るの?と思った。

向後:それは、もう、僕自身よくわかんないから、新海さんにまかしちゃおうっと言うことで・・。

一同:あはははは〜。

新海:まいったなと思ったけど、でもやってみて逆にありがたかった。まとめることで自分自身が変わったからね。書かなきゃいけないと思って、いろいろ録音を聞き直したの。そしたらとくに2回目の指宿の時、参加者は10人くらいだったけど、4つのレベルについて話してくれててね。

向後:僕は、新海さんの書いてくれた原稿読んで、あ〜、頼んで良かったと思った。

ウォン:あの文章読んでさ、セラピストだけではなくて、日常的なレベルで有効な話だと思ったよ。

新倉:それが、大事だと思うんだよね。だって仲間内だけに読んでもらっても意味ないじゃない。

ウォン:そうそう、セラピストだけじゃ意味ない。

新海:吉福さんの話をまとめようとしたら、大変なんだよね。それこそ、バートランド・ラッセル、スーフィズム、マトリックスの話まで幅広いからね。全て書こうとしたら、とても難解なものになってしまう。今回は、そうした膨大な世界観の最初の手がかりみたいになる本だと思うんだよね。その辺の意図は、向後さんがフェイスブックで吉福さんの言葉を連載しているのを読んで感じたね。

向後:わかっちゃった?吉福さんのやってきたことの地図みたいな本を書きたいなと思ったんだよね。そうすると、僕だけで書いてしまうと偏ったものになってしまうから、何人かで手分けして書こうと思ったんだよね。それで、みなさんにお願いしたんですよ。

新海:みんなはまったよね。ウォンさんのパートは表現が詩的にも感じる。ビジュアルで伝わってくるしね。ウォンさんにCPC(コンテンツ・プロセス・コンテキスト)(※2)の部分を書いてもらってよかったなと思った。

向後:CPCのところをウォンさんに書いてもらったのは、一番吉福さんとやりあった人だからね。コンテンツもプロセスもコンテキストもあってということを一番体験していると思ったので、頼んだんですよ。

新海:ウォンさんは、吉福さんともめて、結局一旦来なくなるというところまで自分自身を追い込んで、またもどったというところがあって、まさにコンテキストを自分で体験してきたという感じだもんね。しかし、ウォンさん書くの速かったね〜?

ウォン:原稿をたのまれて、僕に振ってくれてうれしいなというのはあった。ただ、僕の友人の看取りの問題もあって、最初、手が付けられなかったのよ。手が付けられないという焦りの中にいて、目の前のことをクリアしてから断食会に行ってから、ばーんて書きたくなって、それで一気に書いたのがCPCの論理なんだよ。僕は、論理として書きたかったんだよ。いろいろなことを思い出すんだけど・・。

向後:その後、もっと個人的な吉福さんとの関わりについて書き足してくれたんだよね。

ウォン:僕は、一度、吉福さんとの関係を切った人間なので、実を言うと、向後さんとはメールでやりとりしたんだけど、自分がセラピーと言う場にどうかかわるかというところでずっと話をしていて、結局、僕が結論として出したのが、(セラピーには)関わらないと決めたの。つまり、僕は、セラピーの世界には入っていかないと決めたのが、吉福さんとの決別だったんだよね。それが、2010年の秋なんだよね。僕はその後、社会問題にかかわっていくんだけど、やはり、そのブランクというのが心にひっかかっていて、向後さんから原稿依頼があった時、自分には十分に向き合えない、CPCに向き合うことができないって思ってしまったということがあってさ。ずいぶんと葛藤した。実は一旦書き終わってから、みんなの文章を読んだら、自分は距離感を持って書いていたなと思ってさ。そこで思い出すのが、吉福さんとのやりとりだったんだよね。本当に、吉福さんにいじめられたことしか思い出さないんだよ。それを書こうと思って、書き足したんだよね。

向後:あれ、書き足してもらって良かったよね。

新倉:ウォンさん、2010年の秋以降、ぱったり吉福さんのワークショップに来なくなったじゃない?最後に来たときのことも、よく覚えている。

ウォン:僕は、吉福さんのワークのやり方にずっと疑問を持っていたんだよね。そうしたら、吉福さんが、「ウォンさん、自分の思ったようにやればいいんだよ」って言うんだよね。でも、それができなかった。

新海:僕は、あの頃はまだ、ガツガツやる方がいいと思っていた部分があるんだよね。あの後(2010年秋のワークショップの後)、ゲシュタルト・アウェアネスセラピーという10日間くらいやるワークショップに出たんだよね。そしたら、そこでは壊れたまんまでいいということを徹底的に受け入れていくのね。そこのワークはチベット密教の影響を受けているので、どんな酷いものでも受け入れてしまうというやり方な訳よ。これについて思うところはいろいろあるけど、それでも僕は、そのときに感銘を受けて、あっ、全部受け入れちゃえばいいんだなって思ったんだよ。だめなものを治そうというのは過剰介入だということがわかって、その後、完全にひかえるようになったの。その時、はじめて、ウォンさんのことを理解できたわけよ。それに気づいて、すっごい失礼しちゃったなって思ったんだよね。

ウォン:あはは、いやいや、それはいいんだけどね。僕は、一旦離れることになったワークショップで感じた強い怒りの根源をわかっていなかったんだよね。だから、だれに対しても、どう対応していいのかわからなかったんだよね。だから議論にならない。そのときに吉福さんが議論の場を作ったから、僕は、すごくアウェーに感じたんだよね。その後、吉福さんが、自分のやり方でということを振ってくれたんだけど、僕は、自分のやり方ができなかった。そのことが、もうこの場では、自分のことは言えない、もう少し言えば、僕はセラピーはできないって思ったんだよね。

向後:ところがさ、あのあたりからはっきりと変わったんだと思うよ、吉福さん。

新海:そうそう。

向後:要するにね、過剰介入がいかんということは、元々言っていた訳だけど、それをすごく言い始めたのは、あれからだよね。

新海:僕がある介入をしていたら、「新海さん、何やってんだ」って言うからさ、「えーっ、言われた通りにやっていたのに」って思ってさ・・。

一同:(笑)

新倉:ひどいよね。

新海:ひどいよ。前は、ギュッて押していたのに、いきなり「こうやって、軽く押すだけでいいんだよ」って言い出すんだもんね。

向後:「だって、吉福さん、前は、もっと、ギュッと押してたじゃないですか?」って、言いたくなっちゃうよね。

一同:笑。

新倉:「向後さん、昨日の僕と、今日の僕が同じと思うかい?」って人だからね。

一同:笑。

向後:僕は、ウォンさんと吉福さんのやりとりを見ていて揺れたね。いったいどこに着地したらいいのかということだよね。僕は結局、がーってやるのがいいとは思えなかったんだよ。やはり、それは過剰介入だと・・。

ウォン:吉福さんは、結局「ウォンさんのやりたいようにやれ」ということは最後まで言い続けていたね。吉福さんのやり方をまねるのではなく、「ウォンさんが直感で感じるようにやれ」って言っていたよね。でも、僕迷うじゃん?プロセスに対して、僕はどうかかわったらよいのかわからない。吉福さんは、抑え込むかもしれない。でも、僕の中に感性としてないからさ。そのときに何度も躊躇する訳。でも彼はさ、ちゃんと見抜いていて、「ウォンさんね、その瞬間にやりたいと思うことをやったらいいよ」って何度も言うんだよね。

新倉:じゃあ、戻ってきたときには、どんなことがあったの?

ウォン:離れたけど、僕の中には、吉福さんに対する思いってあるわけさ。吉福さんがさ、2012年の秋のワークの直前に電話をくれたわけさ。めずらしい。「僕は、去る者は追わないよ」って言っていたのに、電話かけてきたんだよね。めっちゃくちゃ、うれしかったよ。で、「ウォンさん、来ないの?」って言うんだよね。「おいでよ」って言うんだよ。

新倉:それでなんだ。

ウォン:それで、僕が参加したんだけど、それが最後のワークショップになっちゃった。その後、吉福夫妻と4人で温泉に行って、それで、秘宝館にまで行ったよ。

一同:笑。

新倉:そう考えると、そのタイミングで声をかけてきた吉福さん、なんか彼の中にも思うところがあったのかもしれないね。

ウォン:最後のワークショップは、僕にとっては決定的だった。

新倉:吉福さんは、逝ってしまう前にウォンさんに会っておきたいなというあれ(直感)があったのだと思う。だからわざわざ、電話したのかもね。一回、会っておきたかったのかな?

新海:向き合いたかったんだろうね。

ウォン:そう思う。これやっていなかったら、出会った感じはしなかったかも。

向後:吉福さんが、ウォンさんに言った最期の言葉が、「よくくらいついてきたね」だもんね。一番、ウォンさんが噛み付いてたからね。

ウォン:かみついたぁ〜。食らいついたもん。違和感すごかったもの。

新倉:だから、向後さんは、コンテンツ・プロセス・コンテキストのところをウォンさんに書いてもらおうと思ったわけね?

向後:そうそう。

新海:だから、ああいう文章が出てきたわけなんだね。

ウォン:今でも、コンテキストという考え方については、すごく強く印象に残っているよ。「セラピストがコンテキストであり続けるためには、存在の力がなければいけない。存在の力をつけるためには、アイデンティティを破壊し続けなきゃならない」って、吉福さんは言っていた。アイデンティティのあけわたしをどうやっていくかなということを今でも、ずっと考えているもの。

向後:難しい課題だもんね。

一同:難しいね。

ウォン:最近、ピアノからピアニカに移ったけど。

一同:笑。

新海:おしゃべりなピアニカ。

ウォン:そう、おしゃべりなピアニカ。鍵盤ハーモニカ。3万円ぐらいで、安いんだよ。

新倉:そういう意味では、ナイスダイレクションだったのね?みんなに適当に振ったのかなぁと思っていたけど。

新海:ワークのことを新倉さんに振ったというのも絶妙だと思った。

新倉:私、向後さんから話をもらってお題を…困っちゃった。いや、本当に、えっ、何かコツなんてあった?って最初思った。だから、わからない部分は、新海さんに聞いたりしたじゃない?ワークのコツなんて、普段あんまり意識してやらないからね。

新海:あれはさ、どっかの帰りの新幹線で、吉福さんが「ウォンさんと新海さん呼んできて」って言ってさ、僕らが行ったじゃない。結局、小言なんだけどさ、「あんたらなんなんだよ」という話があったのだけど、その時に話してくれたのが、あの話(※3)になったわけなんだよ。「そこかと思えば、またあちら」とかね。エッジを超えるという話の中でね。「満足させないんだ」って話。言っていたでしょ?

ウォン:言っていた。

新海:僕が理解していなかったから、コツを教えてくれたんだよね。「自分が何をやっているのかわかっているのか?」って。

新倉:へぇ〜、そんなこと言われたんだ。

新海:その時に、懇切丁寧に話してくれたんだよね。それが、あの話なんだよ。新倉さんが書くということで、僕らが理解しているのと違う角度で、きっと書くと思ったから、それはいいと思ったわけ。

新倉:違う角度で書けたかどうかわからないけれどね・・。

新海:すごく面白かったよ。あれは新倉さんしか書けない。セラピスト新倉さんが書いた文章になっているもん。

新倉:でも、さっきも言ったように、自分がやっている時は、あんまりいろんなことを意識していないじゃない。

一同:そうだよね。

新倉:それを文字にして伝えるとなると、結構考えるよね。どういう風にしたら、一番伝わるのかなって思うから・・。あと、吉福さんに聞いても答えないしね。それを知っているから私はいちいち聞かないし。「これってこういうことですか?」って、私は殆ど聞いてこなかったと思う。今となってはこういうことですよね、って確かめようがないので、本当に手さぐり状態で書いたわけ(笑)。

向後:「わかっているだろ?それでいいんだよ」としか言わないだろうからね。僕が新倉さんにあの部分を書いてもらおうとしたのは、セラピーの中でなにが起こっているのかを日頃体験しているセラピストの観点から、新倉さんに吉福さんの言葉の意味を語ってもらおうと思ったんだよ。そうすれば、なぞの言葉も輪郭がはっきりするかと思ったんだ。

一同:なるほど〜。

ウォン:僕もCPCの話を書いていても、どっか抜け落ちているな感というのが、どうしてもあるんだよね。

向後:いや〜、それは、全部ありますよ。どこまでのことを吉福さんは語っているのだろうということを考えていくと、きりがなくなっちゃう。もう、しょうがないから、我々の理解の範囲で・・ということで、今回の本を書こうと企画したんだよね。

新海:あれが、ベースだったね。向後さんが、「自分が経験したこと」として書いていたので、それがベースとなって、あっそういうことかということで、僕も書けたし、みんなそれぞれが、自分の目を通して書くことができた。

ウォン:2章以降、本当によく書いているな〜って思った。何度も書きなしたんでしょ?

向後:あれを書き始めたのはね。吉福さんから4月9日電話が来て、もう余命があまりないということを聞いて、その日のうちにフェイスブックで書き始めたんだよね。もちろん、へんに勘ぐられちゃまずいので、僕がこれまで学んできたことという意味で「学んできたこと・取り組んでいくこと」という題名にしたんだよ。吉福さんから学んだ言葉だということは、吉福さんが亡くなってから明らかにしたんだよね。

新倉:その日に書き始めたんだ・・。

向後:2013年の4月9日ね。僕と新倉さんは、福島で5月に吉福さんのワークショップを企画していたので、病院から出てすぐ僕らに電話くれたみたいだね。僕は、風呂に入っていて、出てきたら、吉福さんと新倉さんから電話が入っていて、なんだろうということで、新倉さんにかけたんだよ。そうしたら・・・。

新倉:そこで私言っちゃったの。5月に福島でワークショップを企画していたから「ワークショップがダメになったこと、その理由は、吉福さんが、癌だから来られない」と。

吉福さんの好きな言葉 向後:それで、吉福さんにすぐ電話して、「5月に行きます」って言ったら、「そのときには、もう会えないかもしれないね」って吉福さんが言うんだよね。声がいつもの吉福さんなものだから、それから3週間で亡くなっちゃうなんて信じられなかった。

新倉:あの時、吉福さん病気のことや現在の状態のことを話してくれた。最長で3ヶ月という状態だったみたい。5月の初めに行けば会えるかと思っていたのだけれど、私にも「いや〜、会いたいけどさ、会えないかもね」と言っていた。で、私は、「えっ、でも今3ヶ月って言ったじゃないですか?」って言ったら、「いや、それは、最長でだよ」って言っていた。

向後:あの電話で、あぁ、3ヶ月後には吉福さんはいないんだと思ったときにさ、どうしようもない気持ちになって、それで、吉福さんの言葉をフェイスブックに書き始めたんだ。僕がこれまで学んできた事としてね。そのときは、本にしようなんて思っていなかったんだけど・・。2000年以降の吉福さんの言葉って文章として残ってないからね。だから、思い出せるだけ思い出して、メモをひっくり返して書き始めたんだよね。

新海:そうなんだ。

向後:僕が理解している範囲でということで、毎週書いていたんだよね。吉福さんの言葉もそのうちだれかがまとめて出版されるだろうと思っていて、毎週書いていたものを本にする気はなかったんだけど、いつまでたってもどこからも出ないからさ、それだったら、僕らで書いちゃおうと思って・・。

新倉:それは、いつごろ思い始めたの?

向後:ぼんやりと思いはじめたのは、1年ぐらい書き続けた後だね。1周忌のあたりかな?どうせなら、吉福セラピーの地図がなんとなくわかるような本にしたいなと思ったんだ。だとしたら、僕ひとりの視点じゃなくて、いろいろな角度から吉福さんのことを書いたらいいんじゃないかって思い始めてね。

ウォン:本当、地図になっていると思うよ。

向後:「私だけが吉福さんのことはすべてわかっています」って感じじゃなくて、僕らの理解している吉福さんのセラピーや世界観は、こんな感じですみたいな本にしたかった。分からない部分は、そのまま分からないって示せるような本ね。それで、みなさんに頼んだんだよね。

(つづく)

「吉福伸逸の言葉」の詳細はこちら

(※1)心の4つのレベル:

吉福さんの主要概念。人の心は、「Power of Brain(あたまの力)」 、「Power of Emotion(情緒・情動の力)」 、「Power of Being(存在の力)」 、「Power of Becoming(関係性)」の4つのレベルに分けられるとしている。

(※2)CPC(コンテンツ・プロセス・コンテキスト):

吉福さんはセラピーの現場を、「コンテンツ(content)」、「プロセス(process)」、「コンテキスト(Context)」そしての3つの角度から見ることが出来るととらえている。 コンテンツは「内容」、プロセスは「過程」、「技法の進行」、そしてコンテキストは「文脈」、「背景」、「環境」を意味する。

(※3)吉福さんはセラピーのコツを以下の4つととらえていた。

「満足させない、不満をもたせる」、「ルールを変える、メタゲーム」、「そこかと思えばまたあちら」、「いちいちひっかからない」

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