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カウンセラーの対談 「第48回 吉福伸逸さんのコーマワークをめぐって<第2回>」
第48回 吉福伸逸さんのコーマワークをめぐって<第2回>
本多正久 プロフィール
医師・医療法人本多友愛会理事長
愛知医科大学卒1981医師となる。1981〜1988福島県立医科大学第一外科で頭と整形以外の外科を習得。1989昭和天皇ご崩御と共に日本医科大学救命救急科に入局。同年7月アメリカ、ミネソタのメイヨ―クリニック、セントメリー病院で救急医療の研修後、郷里の宮城県角田市にある仙南病院に帰り1996から医療法人本多友愛会理事長。救急、災害医療から看取りまで何でもやってます。
稲葉小太郎 プロフィール
編集者
1961年、神奈川県生まれ。東京大学文学部印度文学印度哲学専修課程卒業。出版社に勤務ののち、フリーで編集、執筆をおこなう。著書に『コンビニエンス・マインド』(大蔵出版)がある。
インタビュー 第2回
稲葉小太郎氏(以下稲葉):このコーマワークなんですが、吉福さんとしてはどういう意図でやっていたんでしょうね。
本多正久氏(以下本多):伊豆の別荘でふたりで話していたのがきっかけなんです。「先生さ、医者って何をやる人なの?」っていうわけ。「いや、人を助けている…」「助けてるつもりなの?」「は?」「よくてお手伝い。悪くしたらそそのかしでしょう」「は?」「だって生きるのその人達でしょう。先生が生きてるわけじゃないじゃん。神様じゃなくて、人間が人間を助けるなんて、できないんだよ。よくてお手伝い。悪くしたら、この手術やるといいですよって、それ、そそのかしじゃない」。
向後カウンセラー(以下向後):人が人を助けることはできないってよく言ってましたね。
本多:僕はいまだに病院で言ってますね。我々が患者さんを助けるわけじゃないからな。生きるのは患者さんだからな。死ぬのも患者さん。俺たちじゃない。患者さんが主体なんだからって。
向後:あ「僕はね、クライアントのためにやってるんじゃないの。自分の興味でやってるんだよって。どうしてこうなるのかな、どうしてこういう妄想持つのかなって。そうしたら勝手に治っちゃったりして。良い商売だろう」って。
本多:でまあその会話の中で、「先生さ、コーマになってる人いるじゃん」「いますよ、いっぱい」「その人とコミュニケーションを取れるんだよ」って。
稲葉:へえ。
本多:コミュニケーションを取れたら助かりますよ。どうやっていいか困ってますから。「じゃあ、行ってあげようか」。そんな感じ。
稲葉:そうか、コミュニケーションを取るっていうのが最初の目的なんですね。コーマ状態から生還するとかじゃなくて。
本多:寝たきりになっちゃって、延命されている人ばっかりですよ。もうしゃべらなくなっちゃった状態でコミュニケーションできないと思っちゃう。でも違うんだよ。目玉ぱちくりしていれば意識あるからね。声聞こえてるからね。そのつもりで、やさしくいろいろやってごらん。そうしたらなにか反応が出てくるからって。
向後:吉福さんはどこかでコーマ状態の人がいるって気づいていて、そうしたらほっとけないのでしょうね。この人とコミュニケーションをできないはずはないって。統合失調症もそうでしたもんね。統合失調症は無理っていっても、そんなことはないって。あの確信はどこからくるのでしょうね。
本多:彼ってほら、ところどころで自分を全否定しなければいけないような気持ちになるじゃない。岡山では俺は一番頭もよかったしスポーツも万能だった。それが東京に出てきてもっとすごいヤツがいるっていうことになって。音楽のほうにのめりこんで、ジャズをやって日野皓正とやったりしてたんですよね。それでバークレー行って、自分よりとんでもなく上手いのがいるって。
向後:ヤン・ハマーっていう、ジェフ・ベックとやっているキーボードがいて、彼の展開についていけなかったっていう。それがひとつのきっかけらしくて。後から考えたら、やりようはあったんだけどねって言っていましたけど。
本多:で、音楽そのものを止めてブラジル行っちゃうでしょう。なんでブラジルいったんだろうって。自分を知っている人がいない、言葉が通じないところに行きたいって。
向後:わけわかんない発想ですよね。
本多:アイデンティティというのを根こそぎぶった切って、ぜんぜん別のものに変えちゃうという。
向後:それを繰り返しているわけですよね。早稲田のころから、ジャズでしょう、そのあとサンスクリットでしょう。そのあとセラピーでしょう。でもそれも止めて。
稲葉:ハワイに行っちゃったんですもんね。
向後:で、また戻ってきて、このあと別のことやりたがってたんですよね。僕もう止めるから、向後さん後頼むねって。
本多:もう止めるからって指宿に。最後だからって。
向後:あのころから最後っていってて。まあそういわずにってなだめすかしてやってたんだけど。それで最後にセミナーをやるっていって。
本多:それが指宿の最後のときでしたっけ。
向後:それもそうだし、豊洲でやったり、トランスパーソナル学会でやったり。
本多:で、地震があって、気仙沼のほうによく来てたんですよね。
向後:そうです。大島でしたね。南三陸が最後だったかな。あの時、被災者の人は無料にしたんです。
本多:知ってりゃ行ってたんだけどね。
向後:あのときはすごかったですよ。いろんなものが出てきて。被災者の人はじっとして、表現しないんですよね。それがワークの場でいろんな話がでてきて。いいワークでしたね。
本多:そのだいぶ前になるかな、宮城県の古川っていうところがあって、築館というところに古い小学校を使った研修施設みたいなものがあるんですよ。そこでウォンさんと吉福さんが来て、ワークをやったことがあるんです。それがむちゃくちゃよかった。10月くらいかな。ちょうどそこにグランドピアノがあって。
稲葉:宮城県中新田交流センター。2007年の9月ですね。
本多:そうそう。
青山カウンセラー(以下青山):どうよかったんですか?
本多:まずシチュエーションがよかった、教室を作り変えたホールの窓を開け放ってね。地球が滅亡しそうだから、宇宙へロケットで飛び出そう。この飛び出す組に入るか、地球に残る組に入るか。で、それぞれが自分の気持がどう変わっていくのかを感じなさいという。途中で入れ替わるんですよ。地球に残る組と出てっちゃう組とが、最後にシェアしてハグして終わるんですけど、ウォンさんがピアノ弾いて、それに吉福さんが語りをのっけるのね。
向後:僕らもやらされたんですけど、要するに、イメージが浮かぶままをやっていくんだよって。
本多:それにウォンさんのピアノがね、両方アドリブなんですよ。それが陽の光とか風とあいまって、実に気持ちよかった。自分の体が竹で編んだカゴみたいな感じで、それをざぶざぶと洗うと、内側についている汚れがきれいに落ちるみたいな。
向後:指宿でもね、あれはウォンさんがウォーウォーって声を出して、歌をうたうんですよ。ドン、ドンって、壁とか床を叩いて。それで吉福さんがイメージ誘導して。
青山:本多先生は私のとなりで寝ちゃったの(笑)。
本多:そうでしたっけ(笑)。
向後:あれはすごいよかったなあ。
向後:稲葉さんがいちばん古いわけだけど、吉福さんを見ていて90年代と2000年代で違いってあります?
稲葉:いやあ、僕は2000年代は会ってないですからね。最後に電話をもらったのが2011年なんですが、そのときはしゃべり方がゆっくりしてたのが印象的ですね。まろやかというか、熟成されたというか。
向後:僕は2004年からしか知らないから、ああいう穏やかな感じしか知らないんだけど、昔はきつかったとか言う人もいらっしゃるのですが・・。
稲葉:僕が知り合った頃はもう穏やかでしたよ。80年代とかは怖かったって聞きますけど。ワークショップもそうだし、一対一でも問い詰めるような。
向後:そのやり方を捨てていったんだね。
稲葉:でも場合によっては、その部分を出すこともあったみたいですけどね。
向後:確かに、激しいことをやることもありましたね。
本多:自分と似たようなことをやるなら、本物でなくてはならないっていうことだろうね。
向後:頭だけで考えるようなひとに対しては、カツーンっていくことはありますね。
青山:わかった気になるなって。
向後:でも、やられるほうもそれくらいではつぶれない人を(笑)。
本多:見てるんじゃないですか、こいつ、これくらいいっても大丈夫だろうって。
青山:でも、つぶれることも大事なプロセスだから、あえてつぶしにいく作業をしている可能性もあるかもしれない。
向後:80年代に会った人の中には、恨んでる人もいるみたいだから。
向後:稲葉さん、ほかにお聞きになりたいことはありますか?
稲葉:ひとつ確認したいんですが、コーマっていうじゃないですか。これはお医者さんとしてはどういう定義なんですか? 昏睡状態っていう。
本多:そうですね。だから、ほんまもんは脳死まで入っちゃうんですよ。脳死っていうのは全脳が動かなくなっちゃってて、呼吸循環はぜんぶ外でなんとかしている状態。だから本人の意識はないわけです。
稲葉:もう元に戻ることはない。
本多:ある意味、麻酔をかけられた状態に近いですね。意識をとって、呼吸循環ぜんぶこっちで管理するという。
稲葉:吉福さんがコーマワークをしたのは、そういう状態ではないわけですよね。
本多:いやいや、そういう状態でもできるって彼はいうんです。
向後:ああ、そうですか。
本多:だから麻酔をかけた状態であれやったらどうなるか、やってみたらわかりやすかったかもしれないけど。
青山:それはそうですね。
本多:でも手術のときに、「わかりますか」ってできないから(笑)。
向後:いまので思ったのですけど、統合失調症で薬を処方されている人に対して同じことができるのかな。
本多:かもしれないね。要するに自分の身体が檻になっちゃって、その状態で檻から出していくというのは、刺激を少なくしないと受け入れてもらえない。そういう感じがしたんですけど。
稲葉:微細な、微妙なタッチで。
本多:それはもう普通に触るというんじゃ強すぎるって言ってましたね。だから産毛に触るか触らないかくらい。
向後:指圧する人ですごい腕のいい人がいるんですが、その人がさっきの感じに似ているんです。触るか、触らないかなの。そこに手があるなって分かる感じなんですよ。
青山:吉福さんもそういう方の状態を自分も味わうわけじゃないですか。こういう状態だったらその窮屈さ、それも吉福さんは味わいながらそこにいるんでしょうね。マッサージする側も共鳴することでたいへんだったり、一度それを取る作業をしないともたないんじゃないかな。
向後:取る作業をどうしてるんでしょうね。
本多:うーん、どうしてるんでしょう。そのあと、温泉いったりくらいでしたけど。
青山:温泉はそういう作用がありそうですけど。
稲葉:温泉大好きでしたね。
向後:ふつうセラピストは何らかの儀式をして、自分の中にたまったものを取るっていうことをする人が多いんですけど、吉福さんはしてなかったね。
本多:見たことないです。
向後:だから、溜まってないんじゃない(笑)。
青山:でも煙草とか温泉はそうかもしれない。煙草とか、リチュアルな感じがしますね。わからないけど。
稲葉:でも、ハワイに帰ったら使い物にならなかったっていう話もありますね。そのコーマワークなんですが、患者さんの家族の方とかはわりとすんなり了承してくださったんでしょうか?
本多:すぐ受け入れてくれましたね。終わったあとは、すごい感謝していました。どうやっても反応にたどりつかなかったのに、やっと答えが帰ってきたという感じ。いまは別の施設にいっちゃいましたけどね、分かれるにあたって、すごくよくしてもらったって感謝されましたね。
稲葉:その方は人工呼吸器とかではない。
本多:ではないですね。その方は頭をぶつけて、頭部挫傷後の、高次機能障害のひどいやつ。
稲葉:それまでは、まったくこちらの問いかけに反応しなかった。
本多:なかったですね。こちらも、なにが反応だかよくわからなかったんです。手がふっとひらいたときはびっくりしましたね。
稲葉:あと、吉福さん自身が死に対して、近いというか、なにか親和性があったというか。そんな感じはしませんか?
本多:そうですね、死を恐れていなかった。死の向こう側に俺は行くんだみたいな雰囲気がありましたね。死ぬこと自体は怖くない、生理的な最後として、それは受け入れるしかないよねって。死と再生のワークっていう、チベットの死者の書の、それもやったんですよ。死ぬ役は、なるだけ息をするなって。まわりは家族がいて、泣くわけですよね。
向後:やりましたねえ。
本多:それからウォンさんがピアノをポロポロ弾いて、再生のところで、あなたは母親の子宮の中にいる。みんなにぐるぐる巻きにされて、うぉーって。で、なんだかむちゃくちゃなメロディのなかで、ぼっこんと出るという。出た瞬間、自分で呼吸をしなきゃいけない。それが最初の別れであり、始まりであり。
向後:吉福さんが死について語っていたのはね、死のプロセスというのは3つだと。物質的な死、もうひとつは仏教の輪廻転生みたいなものと、3つめはジーン・プールていう、記憶の遺伝子みたいなのがプールされているところがあって、そこからまたひとすくいされた、また生まれてくるって。そういう考えもあるんだよって。雰囲気的には吉福さんはこのスプーンのひとすくいっていうのが、しっくりきてるような気がしましたね。
稲葉:死ぬ直前にもそういうことを話してるんです。アーカーシャ・クロニクルっていう、大気圏にいろんな人の記憶が保存されるんだみたいな。ブラバッキーという神秘家の説なんですけどね。