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カウンセラーの対談「第24回 井上祐紀氏、新倉カウンセラー対談<第1回>」

第24回 井上祐紀氏、新倉カウンセラー対談<第1回>

井上祐紀 プロフィール

井上祐紀氏 児童精神科医 精神保健指定医 医学博士
現職:国立精神・神経医療研究センター精神保健研究所知的障害研究部 客員研究員、島田療育センターはちおうじ 診療科長

平成10年岐阜大学医学部卒、同年国立国際医療センター内科研修医、平成12年福島県立医科大学神経精神科診療医、平成17年国立精神・神経センター精神保健研究所知的障害部流動研究員、平成20年同診断研究室長、平成23年4月より現職。

主な研究テーマ:
*AD/HDの神経生理学的病態研究
*AD/HDの臨床評価尺度の標準化
*発達障害児の家族支援
*発達障害児の認知行動療法

 

インタビュー第1回

新倉カウンセラー(以下 新倉):本日は児童精神科医で島田療育センターはちおうじ、診療科長の井上先生に児童臨床に関するお話しを伺いたいと思います。どうぞ宜しくお願いします。

井上祐紀(以下 井上):宜しくお願いします。

新倉:最初にお聞きしたいのは、精神科医の中でも何故児童臨床を選ばれたのですか?

井上:精神科入局してはじめての当直の日に12歳くらいの男の子で大暴れしてかつぎこまれてきた子がいました。その子がものすごい多動で衝動的な子、ADHDのお子さんだったんですね。そういうきっかけの出会いから大人だけじゃなく行動や情緒の問題をもつお子さんを拝見する機会に恵まれていました。特に児童外来と名打っていたわけではないのですが、子供たちへの関心というのは精神科のキャリアの前半部分からずっと持っていたなという感じではあります。あとは田舎なので東京と違いお医者さんがカバーしなきゃいけない領域が広いんですよね。2歳から92歳まで。

新倉:まさにゆりかごから墓場までという感じですね(笑)。

井上:はい、本当に。それこそ2〜3歳の子の言葉の遅れから老人の相談まで単科の精神科病院へ来ちゃうような所で過ごしたので・・・精神科のキャリアの前半部分は東北地方で過ごしたというのが大きいような、今でもあんまり自分のことを児童専門だなんだって言うつもりはなくて、親御さんのメンタルヘルスの相談にものっていますし、あとは子供たちが大きくなり成人になった人たちも診ているので、児童精神科医というわりには青年期以上のお子さんが沢山外来に来ているかなと思います。うちの施設の建前としては原則として中学生までと。それ以上の方には事情をうかがって拝見する場合もあるかなと。どうしても施設の性質上お子さんが診れなくなってしまう程大人が来ると困ってしまう。自分の気持ちとしては、年齢対象をあまり厳格には区切っていません。あとご兄弟で、うちのお兄ちゃんも見て欲しいとか、家族内でどんどん増えていくこともあります。

新倉:私は小学校でスクールカウンセラーをやっていますが、発達障害の疑いがあるお子さんがいたりして保護者面談をして医療や教育センターに一度相談をしてみたらどうですか?と投げかけると、「今度お兄ちゃんの受診のときにこの子も診てもらいます」というケースがあります。医師との信頼関係が出来ていれば、親御さんも知らない医療機関を受診するより敷居が低くてスムーズに受診につながります。ところで一日で何名くらい診ているのですか?

井上:僕なんかは精神科の先生の中ではあまり診ていないほうだけれど、20〜25名くらいでしょうか。一人あたり15分〜20分、場合によっては具合が急に悪くなった方に関してはもう少し時間をかけますので平均するとだいたい20数名程度です。

新倉:新患が入った場合はかなり時間がかかると思いますが、どうされているのですか?

井上:新患はもう午後の一番の外来と枠が決まっているので、そこはもう1時間と構造が決まっているので昼休みのあと一番にみるということになるんですが、なかなか昼休みが実際にはつぶれちゃって午前が終わったらすぐ新患ということもあるんですけど。

新倉:そうするとお昼ご飯はどうしているのですか?空腹だと午後の診察にひびいてきませんか?

井上祐紀氏、新倉カウンセラー対談井上:お菓子をいろいろ、チョコレートを隠し持っていてちょっと脳にぶどう糖を与えるということを時々やっています。あんまり健康的じゃないですね(笑)。朝の9時からうまくいって夕方の6時に終わるんですけど、これがなかなかうまくいかなくて6時半位迄かかります。そのあとは学校の先生たちが外来の待合室で待っているんですね。自分とアポイント取って学校の先生がたが子供たちへのかかわりかた、接し方、まぁ、自分の見立てなんかを聞きに来るということです。

新倉:それは診察ではないと思うのですが、ご相談ベースでしょうか?しかも時間外で?

井上:はい、これはもう相談ベースです。診察というよりは地域の方への地域支援のつもりで時間外を使ってやっています。厳密にいうと都の事業で、そういった施設支援というのがありまして療育センターが地域の幼稚園・小・中・高学校、都内の学校を、場合によっては専門職が学校訪問をするなんていうこともやっているので、まとめて予算をいただいている。あとは虐待関連のカンファレンスも夜入ってきますので、外来が終わってからの時間がまだ続きます。

新倉:かなり労働時間が長くて大変ですね。ところで「こころの科学」の企画で「この病この一曲」で先生は「あばれはっちゃくの生きづらさ」を書かれていましたが、私もSCとして学校臨床にかかわっていて、学校で多動の子供って非常に目立つので教師から目をつけられやすいと感じています。授業中に立ち歩いたり、衝動性が強くてコントロールできないなど、所謂「問題行動」が多くなりがちですが、「これは脳の問題なのか、それともしつけや性格の問題か?」と先生に聞かれます。そうすると、アセスメントが必要になってきて、親御さんと面談をして教室内だけでなく、家庭ではどうなのかを聞いたり、学校場面でもA先生とB先生、或いは授業内容によっては行動が異なるのか?など色々な私なりに情報を集めます。井上先生の場合は、子供が親御さんに連れてこられる所から始まると思うのですが、限られた診療時間や病院という設定の中で、どのように診断されるのですか?

井上:今、医者の予約までにどうしても2ヶ月位かかります。この間にうちのPSWが面接をします。これは私の初診の時間以上にインテークに時間をかけます。ですから、PSWがこれは医療という以前に福祉の問題で虐待の疑いありだとか、その段階で医療よりももっと先にやるべきことがあるとかいうこともあるわけですよね。それから医療的に入院も検討するくらいちょっと重症ではないかと。そういうケースに関しては、順番を私がコントロールできることもある。やはりいろんな複雑がからむお子さんに関しては、私の方に事前に相談があってこのケースどうしましょうか?と。ですから、かなり環境面のアセスメントというところではかなり最初から情報があります。

新倉:最初からその子に関してある程度情報がある所から診察が始まるのですね。私、実は限られた時間枠のなかでの行動観察と保護者からの問診情報だけを頼りに診断なんて一体どうやってするのだろう?と思っていました。それって絶対に不可能じゃないかなって(笑)。

井上:勿論、私の診察に来てわかることも沢山あります。私はとにかく初診でお子さんとの関係、ラポールが作れるかどうか、お子さんがまた次に来ようと思えるかどうかの関係性が作れるかに集中します。必ずしもその日に診断がつくとか、最終的な見立てが言えるかどうかについてはあまりフォーカスしない。むしろ無用意に診断をしない。本人とラポールを形成すること、それから親御さんに信用していただけることは必要ですけど。だから、医学的な問題より、子供にとって親御さんにとって一番困っている問題点は何かということを抽出し、それに対しての何らかの解決のヒントになるようなものを1個でもお土産としてもって帰っていただく。そんな中で、勿論、薬物療法もないわけじゃないんですけど、僕の外来では初診で処方箋を持って帰るケースは稀です。

新倉:今、薬物療法という話が出ましたが、ADHDのお子さんに使う薬が幾つかあると思いますが、西洋薬以外にも漢方薬などもあって医師によって処方は異なるようです。先生は、処方するケースでは、何を基準に処方を決めるのですか?

井上:そうですね、初診やアセスメントで診断を決めない、あとは場合によっては教師の先生がたに来ていただいて、教師からの情報も含めて最終的な診断をします。いまこの場所ではこうだけれど、学校ではどうかわからない、本当の姿はわからないということもありますし、やっぱり子供たちの状態ほど水物でうつろいやすいものはないと思っていますので、何度かお会いしてお子さんの特性というのがこれはどうもADHDだと確認される場合がひとつ、それとやっぱり子供が自分の問題をどう認識しているのかということですかね。

新倉:親御さんや教師ではなくて子供自身の困り具合ですか?

井上:そうです、子供自身がどう感じているかにやはり時間をかけていきたいので、よく困り感っていうのはすごくやっかいなもので、初診で来るときには、子供は困っていませんというふれこみが多いんです。多分困り感ってすごく難しくて、小学生位だと、近視の子が黒板は見えないのが当たり前だと思って過ごしているのと同じように、授業中はこれくらい退屈でかったるくて、勉強っていうのは自分にとっては意味のないものだというのが公然の事実として彼らには体験されていて、彼らにしてみれば最初から世界はこんなものだって、何が悪いっていうような所があるわけですよ。周りからの対応がかなり荒っぽくて頭ごなしな場合も、そもそも大人っていのはこう攻撃するんだと、僕に圧力をかけてくるんだと、すっかり世界に対して警戒心が強い状態が当たり前で来る子も多いので、この辺を徐々にほぐしていって、君自身は実は困っていたんじゃないかって、実は戸惑っていたんじゃないかって。この子なりに困った状況の中で、もがいてきたのだということをしっかり話し合っていくことに時間が必要だなと。初診の段階でこの子がADHDを持っているかの僕なりの質問をします。

新倉:親や教師は他児との比較で物事を判断しがちです。皆じっと座っていられるのに、退屈に思っても我慢しているのに、この子は出来ないという見方をします。お兄ちゃんは2年生で九九をちゃんと覚えられたのに何で弟は覚えられないの?と。勿論、親御さんも教師も子供はみなそれぞれ発達の進み具合が異なっているとは頭では理解していますが、それでも実際に出来ないとなると「出来ないこと」が不思議で理解に窮してしまう。ADHDや学習障害は、本人の努力の問題ではなくて、脳の機能の問題であることを落とし込むのは難しいようです。ところで、先生の独特な質問、具体的にはどのような質問なのですか?

井上:例えば、非常に衝動的で多動なおこさんの場合は、お子さんに「ちょっと想像してみて。あなたがいつも行っている○×小学校の△先生の授業でこれから45分間ずっと前を向いて座って同じ場所にいなきゃいけないんだけれど、これってあなたにとってすごーく疲れることなの?それとも全然へいちゃらなの?この動いちゃダメっていう状況はあなたにとって平気なの?それともとっても疲れるの?」という質問をすると、ほとんどの子が疲れるって言います。でも、この疲れるという子供にとっては、授業中座っているという行動が努力性の高いことなんだということが、取り上げられ難いと思うんですよね。

新倉:おっしゃる通り座っていて当たり前と大人は認識しているので、大方の子供が努力して45分間座っているとは思ってもみないですよね。でも、私自身子供時代を振り返ってみて教室で座っているのを苦痛だと感じた覚えは実はあまりなくて、周りの子たちもみんな当たり前のように座っていたし、授業中の立ち歩きなんて皆無でしたよ。

井上:同じ質問でも「あなたって授業中に椅子をギコギコしちゃったり、立ち歩いたりするの?」なんて聞いてもこれはあっさりと否定されてしまうことが多いですよね。大人の目線から見た問題行動を子供の口から聞き出そうとしてもスルスルと我々の質問からくぐりぬけてしまうように、なかなか彼らの本当の姿を捉えるのは難しくなってきます。やっぱりこの子たちの初診の面接では、この子たちの問題行動と呼ばれているものを本人がどう体験しているのか、忘れ物が多いという子供などは忘れ物っていうのは、体験としては難しいけれど、忘れ物に気付いた時にどう体験されているのかと。

新倉:忘れものに気付いて、ノートが取れなくて後で友達のノートを借りて写さなければならなかったから面倒でいやだったとか、楽しみにしていた工作が作れなくてつまらなかったとか、そういう体験における困り感を探る。

井上:そうですね、身体の反応から、忘れものに気付いた瞬間にどんな気持ちになっちゃった?どんなことを考えちゃうのかと。いつも自分が忘れものをしたときに頭に浮かぶフレーズって何?とか。忘れものをしちゃうといつも苦しい気持ちになっちゃう子がいるけれど君の場合はどうかな?とか。多動の場合は、じっとしている子供を使い、不注意の場合は不注意に気付いてしまったときのいやーな気分とかネガティブな思考パターンとかに着目していくと彼らは割とあっさりと自分のことを話してくれることがあります。

新倉:ラポールを形成されるのに注力されるというお話でしたが、特に初診で二回目以降にきてもらうために心がけていらっしゃることってありますか?今までのお話からは、子供の話しを子供目線でしっかりと聞くということかなと思われますが?

井上:そうですね、子供の体験症状ですよね。発達障害とかADHDって観察所見で全部診断基準が決まっている。DSMで下記の不注意の症状のうち6つが少なくともある・・・という基準ですよね。そして行動障害っていのは見た目、子供たちがじっとしていられなくて反抗的な態度をとったら反抗挑戦性障害って言われてしまうし、結局見た目の表現形でしかないので、彼らの体験に少し着目した面接を行うということと、もう1つは、やっぱり問題行動があったら問題行動の例外を見つけていくという技法、っていうほど大したものではないですけどね(笑)。そういうやり方もあると思うんですね。

新倉:例外を見つけるってどういうことですか?

井上:授業中に立ち歩いてしまう子であれば、さきほどおっしゃったように立ち歩かない場面てどういうときなのか?前を向いて一生懸命できてしまうときって何を扱っているのかとか、喧嘩早い子であれば、けんかしちゃうのが主訴で来るのであれば、けんかしない場面やけんかしない相手、けんかをしなくてすむ状況ってどういう状況なのかとかを考えると、そこに本人の良い特性みたいなものが隠れていたりする。

新倉:子供が病院に連れてこられたときは、本人の問題行動にスポットライトが当たっていますよね。親が担任からお宅のお子さんは授業中に落ち着いて全然座っていられないから一度専門家をあたってみたらどうですか?とか、家庭でお母さんが子供の衝動性が高くて抑えられなくて大変だとか、そういう所にスポットライトが当たってくるわけですが、先生はその裏側を見るという感じでしょうか?

井上:そうです、攻撃的で反抗的であればあるほど、その子がそうでないときってどんな時かというのを一生懸命探すようにするってことですね。それによって、この大人いままで会った大人とちょっと違うなという感覚だけでもいいし、なるべく子供の強み、ストレングスを見て肯定的にとらえる大人であるという、なかなか上手におしゃべりができなくて面接がうまくいかなくて終わってしまうということもあるけれど、こっちがその子の強みを探そうとしている態度がここへまた来ようということにつながっていけばいいかなと。

新倉:君の味方になれるかも・・・と、本人の強みや体験に着目して、本人から困った体験が出てくれば、そこを解決するために相談にのるよという姿勢でいる。

井上:そうですね、僕はその為の人なんだよと、それを分かってもらうだけでもいいかなと。でも、そこはちょっと難しいところで微妙に親御さんや先生がたとの受診動機が違っていて、親御さんを置いていきぼりな気持ちにさせてはいけないので、子供の問題行動には大人の懸念と子供の懸念は違うので、そこには二つのストーリーがあるんですよと、多動や衝動性やけんかは、大人から見たストーリーと子供から見たストーリーが全く異なるので、その2つを取り扱っていかないと事態がいい方向へ動かないので、ここでは2つのストーリーを取り扱っていきましょうと。今日は親御さんの話はあまり聞けなかったので次回は大人だけで話ませんかと。親御さんの方のニーズもしっかり聞き出すのは大事ですし、それはPSWの面接で聞き出せているといえばそうですし、やっぱり親御さんにとっても我々の困り感に何らかの手立てを与えてくれる人だと思ってもらわないと親御さんが子供を連れてきませんので(笑)。

井上祐紀氏、新倉カウンセラー対談新倉:親御さんのモヤモヤの解消も図らないとならないですよね。本人が困っているというよりは、まずは親が困って連れてきているわけですから、そこは外せない(笑)。待合は、親子の関わりが座り方や話をしているかどうかで見える場でもありますよね。私もクリニック勤務のときは、必ず待合を覗きます。

井上:そう、そこら辺をよく見てべらべらしゃべっていそうな雰囲気で緊張度が高くなさそうであればもうどうぞってって通してしまうこともあるし、いかにも大変そうだなと思う場合、前情報によっても大変そうだという場合は別々です。あと、親が同席でなければ僕は病院へ行ってしゃべってもいいよというお子さんもいます。

新倉:ところで、ADHDの問題行動、衝動性のコントロールは、ある意味で身辺の自立の訓練と似ているところがあるのかなと私は思います。例えば1歳半の子供が外で遊んでいて親がもう帰ろうと思って家に連れて来られときに、本人はまだ遊びたかったのであれば、泣きわめきます。それをコントロールすることは出来ない。4〜5歳位になって「ご飯を食べる時間だから帰ろうね、その後おうちで遊ぼうね」って親御さんが話しかけて、それを一緒に体験していくことによって子供も遊びたいけれど我慢して切り上げることを学習していく。トイレットトレーニングも、最初は親があるタイミングで声をかけてトイレに連れて行ってパンツを脱がせておしっこを促します。おしっこが出れば、「上手におしっこでたね〜」と言って褒めてあげる。そういうステップ・バイ・ステップの体験を親御さんと共にして徐々に一人で排泄がコントロール出来るようになる。尿意の自覚や、それをコントロールする力を身につけていくような所があると思います。授業中に突然大声を出したり、立ち歩きの衝動が抑制できないお子さんは、保護者と一緒にそういう場面でコントロールをしていく体験が積み上がりにくかったのかなと。先程の喧嘩早いじゃないけれど、相手のことムカつくけれどここは手を出さずに抑えるという体験が積み上がっていないから、殴っちゃったりするのかなと。そのあたりを先生はどう考えますか?

井上:大人が子供に持つ期待と子供の発達による獲得のバランスだと思うんですよね。トイレットトレーニングにしても衝動性のコントロールにしても、もう何年生だからこのくらいのことが出来て当然とか、もう何歳だからこの位座っていられなきゃ、みたいなことはあるわけですけど、特に衝動性をコントロールするための大人の期待は、この子たちの見た目の発達よりはずっと未熟なわけです。生活年齢や比較的保たれている他の事と比べるとその衝動性のコントロールってすごく難しい。でも大人っていうのは期待を高い所に設定してしまっているから、それよりかなり期待を下げた所からスタートして、出来たね、出来たねと繰り返していけば恐らくそのへんの運動や注意のコントロールが、この子らの中にもっとベストな状況が整うかもしれないのに、一年生になった途端にハイ、45分間授業でもうずっと最初から最後まで座っていることを求められる。

新倉:幼稚園や保育園は比較的自由ですよね。1年生になって環境的な縛りが急にきつくなってしまって適応できない子どもがいても不思議ではないけれど、4年生でフラフラ立ち歩いている子がいます。そうなると教師も保護者もその子に対して果たして「高い」期待をしているのか?なって思います。さすがに6年生では見かけませんけれどね(笑)。

井上:その子にとってのチャレンジレベルをやっていけば効率よく子供たちの発達レベルを促せるんじゃないかと思います。例えば、ADHDとちょっと話がそれますが少し言葉の遅れがあって広汎性発達障害のお子さんに、この子はいつまでたっても近所の子に挨拶が出来ないので、出来ない度にこの子を叱りますとかあるんですよ。近所の子に挨拶が出来ないって行動ひとつとっても、近所のこの人っていうのが、いつもお菓子もらっているおばちゃんだというのが同定できないといけないし、気づかなきゃいけないですよね。この人はどこそこの誰だということが分かっても、なかなか発声するまでに手間取る子もいる。でも会釈くらいならやってもいいかなと思える子もいるし、ハイタッチならとか、手をふるだけならできるかもしれない。だからこの子のチャレンジレベルが、いま知っている人を見たら手をふるとか、この子たちやっぱり不安になりやすい子も沢山いるので、いきなり声を出して、子供らしく元気に挨拶しようという、これ発達障害やADHDの子にとっては、すごくステレオタイプみたいなものをボーンと押し付けてしまうようなこともやりかねないので、やっぱり「当たり前」というところを一回疑ってかからないといけないと。この子にとってのチャレンジレベルは何だろうと?例えば、学校の先生たちは、子どもが挨拶ができるかどうか、っていのはすごく拘っているところがある。でも、それができることが今のその子供の行動目標として適切かどうか、というのは別問題です。

新倉:私の勤務している小学校では朝の登校時に校門の所で当番の先生がたが数名立っていて子供たちに「おはようございます」とあいさつをしています。私が子供の頃はそういのは全くなくて、逆に校内に入ってきて子供たちが先生におはようございますと挨拶をするのが常でしたけれど、今は子供たちに大人が声をかけて挨拶を促しています。

井上:ええ・・それは子供の社会性を向上させるうえでいいことだと思いますが、やっぱりお子さんの発達によってはそれ自体がこの子のチャレンジレベルを軽く超えてしまっている場合があるんですよね。だからこの子がいま何をめざすべきかを、芽生えつつある能力が何なのかをアセスメントしながらいまこの子に期待してもいい、むしろ徹底的にトレーニングすべき部分の能力と、今は一回取り下げてもう少し様子を見たほうがいい部分と色々あると思うんですよ。だからアセスメントする中でその辺を具体的に親御さんや教師にお伝えするのが僕たちの役目かなと思います。そうしないといつまでたっても親御さんや大人たちの期待に添えない体験ばかりが多くなる。

新倉:子供にとって失敗体験や叱責された体験がむやみに積み重なってしまうということですね。そういう事態はいいことは何もないです。

(つづく)

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