本ウェブサイトでは、スタイルシートを使用しております。このメッセージが表示される場合には、スタイルシートをoffにされている、またはブラウザが未対応の可能性があります。本来とは異なった表示になっておりますが、掲載している内容に変わりはありません。

以下のリンクより、本文へジャンプができます。

HOME > カウンセラーの対談 > カウンセラーの対談 第28回

カウンセラーの対談「第28回 高山広氏、向後カウンセラー対談<第2回>」

第28回 高山広氏、向後カウンセラー対談<第2回>

高山広 プロフィール

高山広氏 シンガー ソング ライター のような「アクター ディレクト ライター」
1963年10月29日生まれ。宮城県出身。

88年、自作自演による活動を行うためのユニットNON GATE THEATREを旗揚げ。
92年からスタートした数本立てショートストーリーの一人芝居シリーズ『高山広のおキモチ大図鑑』は、人間や動物、昆虫といった生物はもとより、ありとあらゆるモノ(花火、パチンコ玉、歯ブラシと雑巾、傘、爪切り、たばこ、信号、消火器、星・・・)や概念(昨日さんと今日さん、ウソ君とマコトちゃん・・・)まで演じながらその「キモチ」や機微を描いてゆくという作風で「一人芝居の概念を変えた」と評されています。
作品数は500にのぼり、数分のショートショートから、2時間を越える超大作まで「批評性と文学性と生の感情と生活感覚のある」作品群は現在もライブのたびに増え続けています。

俳優・高山広としては、NHK朝の連続ドラマ『あぐり』『すずらん』『天花』等に出演し、多くの視聴者が感動する演技をみせました。
舞台での客演も多く『ビギン・ザ・ビギン』で森光子氏と帝国劇場で共演、ミュージカル『火の鳥』(原作・手塚治虫)、KOKAMI@networkVOL3『恋愛戯曲』(鴻上尚史 作・演出/永作博美主演)、グループ る・ばる『ああ結婚〜昨日今日明日〜』(松金よね子、岡本麗、田岡美也子)にも出演するなど、幅広く活動してきました。

劇作家・演出家としても、二人芝居『笑い屋キャリー』(作・演出)を青年団、志賀廣太郎氏と人村朱美氏を招き公演する他、若手俳優陣が出演するプロデュース公演の作・演出も手がけてきています。
また『友情 カマキリ篇』等、作品を数校の高校演劇部、劇団に提供するなど劇作家としても注目を集めています。

小学生や幼稚園児に向けた、参加型ワークショップ形式のパフォーマンス、保母・教員向けの勉強会での講演・身体表現のワークショップ、中学生・高校生の芸術鑑賞会、メンタルクリニックのデイケアなどにも招かれるなど、これまでの創作・表現活動をもとにした活動も積極的におこなってきました。

また、通常の公演とは別に都内二カ所で毎月「バーライヴ」も展開中。
飲食店、体育館、山小屋等々・・・招かれればどこへでも出向いて行き、地方を含めた各所で老若男女「演劇未体験者」の観客をも魅了し続けています。

ブログURL:http://ameblo.jp/okimochi/

 

インタビュー第2回

高山広(以下 高山):これこそ、事故の大きさがそういうことなんでしょうけど、その現象面としての事故だけではなく、だれもが味わった事の無い大事件じゃないですか。この状況。人間関係までどんどん壊して行くような状況。だから、それって、たとえば戦争とかそれと同じような、あるいはある意味それ以上かもしれない状況が起こっているわけです。もちろん、放射能の事は、直接人体に関わるとか、子孫に関わる事だから実に重大な事なんですけど、今東北では、そういうふうにして解決できない人間関係とか、金銭面を含めて山積みのまま。だけど、それを、国はあのとおりだし、そうならば、民間のわれわれが・・・お互い様なんでね、なんかしないと・・。見てるとこっちも辛いじゃないですか。

向後カウンセラー(以下 向後):なんとも言えない空気が漂っていますからね。

高山:福島なんて、ほんとにもう・・・。みんなでなんか、うつうつした気持ちですよね。だから、それを少しでもシェアしあわないと薄まらないんじゃないかと思うんですよ。

向後:確かにそうなんですよね。でも、どうやってシェアしていただくかというと・・。実は今年5月に福祉までワークショップ開く予定だったんです。みなさん参加してくださいって無理強いするのは嫌なので、一応こそっと、やるけど、被災者の人はただですよというやり方で開こうと思ったんですが、セラピストの吉福さんがやるワークショップだったのですが、その直前にがんで亡くなられたのでできなかったんですけど。なんか、とにかく何が起っているのかということを中に入っていきたいなと思っているんですけどね。でも、シェアするって言っても、どうやったらいいのか・・。とりあえず、身体から入って行こうかなと思っていたんですよ。直接的に言葉で語ってもらうとかそういうのではなくて・・。
でも、僕らが落下傘候補じゃないけど、ちょっと行って帰ってくるというのは、ちょっとおこがましいところがあるような気がするんですよ。やはり継続的にやれることとか、高山サンがやっているようなお互い同じ場所で気持ちを共有するとかそういうことが大切かと思います。

一番最初はあれですよね。元々仙台で公演が予定されていて、それで311が起きて一旦中止になったんですよね。だけど、再び呼ばれたんですよね?

高山:仙台から北に行った栗原市というところがありまして、農村部なんですけど、そこの高校で毎年やる文化庁からの仕事で、そういう芸術ものを見るぞの会みたいな(笑)。そこに芸術家として行く訳ですよ(笑)。

向後:いいですね〜(笑)。

高山:そのときに、毎年行っているんですけど、地震があって1週間くらいたって、やっと電話が通じて、「ま、こんなわけで、今回は中止にさせてください・・」ということになって、「当然です。お体を大切にしてあげてください」という話しをしていたのですが、次の日ですかね、教頭先生が、「昨日お断りしたあれ、まだスケジュール生きてますか?」と聞かれたので、「全部中止でなにもないです」って答えたんです(笑)。

向後:そうですよね。あのときは(笑)。

高山広氏高山:「だったら、あの、それ生かしてもらって、やっていただけないでしょうか?」と言われたので、「そういうふうに電話したんだけど、もどって、職員とか地域の人と話したら、こういうときだから、逆に来てもらった方がいいのではないかということになりまして、空いているのだったら是非来てください」ということになって、「あっ、わかりました。僕でよければ」と言って切ったものの、まだそのときは311から1ヶ月経っていなかったかな?公演をやる日は、4月15日だったと思います。しかし、「やります」と言っておきながら、後から、自分は何をやれるんだろうと思って。親とも週に何回かしか電話のつながらないインフラのところで、どこでつかめばいいのと思いまして。そこは、津波の被害は無かったのですが、一番震度が高かったところです。

向後:確か、2000ガル以上だったですよね。

高山:栗原市だと思うのですが、うちの実家の方なんですよ。あそこは311の3年前に岩手内陸地震というのがあって、栗駒山という山があってその一部がぼこっと、滑落しちゃったぐらいの、僕、そのときふるさとなんでCD100枚作って、東北弁をいろんないんちきフランス語にするやつをCDにして売って、チャリティで協力させてもらったところだったんです。こういうときは、笑ってもらってということで公民館でやったところなんですよ。そこで、その3年後にそれを上回るのが来ると思わなかったんですけど。大変だったんですけど、みなさんとしてみれば、すぐ車で行けば1時間ぐらいのところが津波であんなにやられちゃったのに、私たちはとりあえず建物倒れちゃったりはしたけれど、今こうしてなんとか備蓄で食べられてるしというんで、しょんぼりしちゃっているんですよ。悪いって。

向後:なんかね、悪いって思うんですってね?「助かっちゃってすみません」みたいな。

高山:そう「助かっちゃってすみません」みたいな、本当にそうなんですよ。それで、みんなうつむいちゃってるから、高山さん来てくださいって言われて・・。「いや、うつむいてるのをムリですよ」という・・。マイナスからこう・・(笑い)。

向後:ですよね(笑)。

高山:「いやー、元気が出るの一つお願いします」と言われたって、「こまったなぁ」となるわけです。まあ、そこが第一の試練で、「断ろうかな。無理だもん」と思って、何やったってむりだ、1ヶ月しか経ってないし、で、なおかつその近くに温泉がありまして、その温泉の寝泊まりするところに避難してらっしゃる方や、ボランティアの方々もいらっしゃるわけです。旅館という旅館はみんな、(被災者を)受け入れていたので、その人たちにも声をかけて、憩いの時間をちょっとでもと言うんですね。で、「高山さんのライヴ見てもらうように声かけましたから」と言われるんですよ。で、どーやって、この先どうなるのか分からないのに、歌ならまだいいだろうけど、芝居なんて・・。で、また兄貴に「音楽って、やっぱりいいよな。でも芝居って無力だな。ホントにな。かわいそうなぐらいに」って言われて、「おっしゃるとおり」・・どーしたらいいんだろうと本当に悩みまして、何をやったって失礼に当たるし・・。でも、考えに考えて、どうせうまくいかないんだったら、いさぎよくバッサリやられてしまった方がいいと思って、もう、これだめだったら、やめなきゃ絶対いけないはずだって思いまして。それで、本当にのるかそるか、のっけからもろ地震の話しでいくしかない思って。

向後:すごいですね〜。

高山:それをやってどかんとこなかったら、もう後は地獄のような1時間をやるしかないと思ったんですけど。それで、まあ、行ってみたんですね。なんか、もう、向後さんは専門家なのでよくお分かりだと思うのですが、「あーどうも高山サン」って言いながら、黒い瞳がうるうるというか、ちいさく動いていて、「いやー、うちのほうは大丈夫だったからさぁ。あっちの人たちかわいそうだったよね。逆に大丈夫だった?」と言うんですよ。「いや、僕は大丈夫ですけど」と答えるんですけど、みんなその自分のちょっとした異変に気がついていないので、あー、やっぱりなーと思って、で、「みんなさ、悪いなと思って。私たちだけ、こうやって・・。今日だって、こうやってお芝居観る事ができるけど、まだ見つかっていない人もいっぱいいるし・・」って言われて、どんどん私の気持ちが重くなっていって・・。

向後:そりゃー、311の1ヶ月後だったらね〜。

高山:で、はじまりました。もう学校の先生も気持ちが高ぶってらっしゃるから、「今日は、そんなわけで決行する事に決めて、高山さんにたのみました。来てもらいましたから、今日はみんな元気が出るような会にしましょう!」で、みんなわーって(拍手を)やるんだけど、なごやかな感じじゃなくて、なんかもう、怖いんですよ。わーっというのはものすごいんですけど、なんこう、僕へじゃないんですよね。なにかを払拭したいような・・。そこで、「さあ、高山さんどうぞ」って言われたときに、「こ、これは・・」って思って・・。こんな話ししていて大丈夫ですか?

向後:全然大丈夫です。むしろ、そういうの聞きたいんです。そのあとどうなったのかを聞きたいです。

高山:これは、ちょっと笑い話なんですけど、笑い話にもなるんですけど、僕にとってその後のお客さんとのやりとりの中で、すごく大きなものを勉強させてもらったような気がしたんです。それは、それでもうしょうがないから、それはもう想像していた以上の空気で、わーってなってて、もうなんか、オレに向けてじゃないんだなって思ったんです。今日、ここでみんなで集ってひとつになってということが、もう高ぶりとなっているんですよね。

向後:そーですか、高ぶった感じなんですね。

高山:だれだれさんとだれだれさん、無事で良かった!会えてよかった、だったりとか。で、これはすごい緊張状態が漂っている、でもそれにビビって、考えてきたプログラムを変えるのはしくじった時に最悪となるパターンだし・・。高校の大きな視聴覚室でやったんですけど、僕は、客席の後ろからエアー募金箱を持って現れまして、募金箱のある体で、「ご通行中の皆さん」って言って入っていったんですね。「今、東北では困ってらっしゃる人がいます。実は、私は宮城県の出身です」って初めまして、みんなシーンとしてステージを見つめていたところへ、「あっ、後ろから来た」ってことになりまして、そこで、「宮城県の出身です。こうこうこうで、ご協力お願いします」ってやると、みんな、「えっ、なんで私たちに」ということになるんですよ。話しのからくりは、「東京では、街の辻辻に募金の人が立っています。私も勢い込んで、なけなしの金を募金したら、次の角を曲がったら、またありました。今度は高校生ぐらいでした。でもさっき、勢い込んで自由にできるお金全部入れちゃったもんだから、その高校生達の目を避けるように、私は彼らの前を通り過ぎました。あーこんなに辻辻にいるんだったら、少しづつにしておけばよかった。50近いのにあさはかな人間です・・」と、その辺からなんかみんな「ん?」っていう感じになって、「お願いします。私、母親に会いたいんです。このあいだ、ようやく2週間ぶりで電話がつながりました。募金お願いします。今すぐふるさとの宮城に帰って、励ましたいんです。親の元気な顔も見たいですし、友達とも会いたいんで、募金をお願いします。すいません、私、募金をするお金も私ないんで、でも募金をしたいんです。是非。私に募金をさせてください。募金をしないと、また駅前で高校生達に、『なによ50近いのに不機嫌な顔して1円も入れてくれないのよ』なんてことを言われるのも思われるのも嫌なので、僕にお金をください。そして、このお金は、全部募金します」ということをやって客席を練り歩いたら、クスクスクスクスってなってきて、「僕は宮城に帰りたいんですけど、貧乏芸人なんでお金がないんです。私に募金してください」ということをやって、「これがたまったら宮城に帰ります。残っている分をちゃんと募金しますので・・」とかいうようなことをやっていったら、みんながその、お話とお芝居、一人芝居ってこうやって見るのかというカラクリを少し分かってもらいながら、クスクスが始まりまして。

向後:それは、すごいですね。

高山:そして、「善意の人たちがおられて、今日僕は、ここに来れました」とやったわけですよ。募金をしながら演説しているという体の芝居なんですけど、「うちの宮城の母親は、栗原で津波の心配はありませんでした。不幸中の幸いで、ちょっとあれしたぐらいで、ただもう、電話も通じず、3年前に内陸地震もあった同じ場所なんですね。今回震度が一番強かったところで、まあこれも宮城県沖地震から数えて3回目だから、もう終わりだろう。もうさすがに古い家もダメだろうし、って心の中であきらめていたんですが、ようやく電話がつながって、僕の第一声が『大丈夫か』になるはずだったんですけれど、逆におふくろから、『オメー大丈夫か』って言われまして、『こっちの台詞だ』と言おうとしたら、おふくろが、『テレビで見たぞ。コンビニには、何もないらしいじゃないか。』、『そうだよ』、『どうしてるんだ』って聞くから、『しょうがないから、なんか適当に・・』、『仕事はどうだ?』、『仕事なんかなんにも無い。家に居るだけだ』、『それじゃ、こまるだろう』という話しで、『食べ物も無くて、仕事も無いのか?』、『そうだよ』、『それよりそっちが・・』というのをおふくろが遮って、『そんなに大変なら、こっちに逃げてこい』」ってやったんですよ。これ本当の話しで・・。(笑)

向後:(笑)

高山:「『こっちさ、逃げてこい!避難しろ。うちには備蓄もあるから』、『どこに自分の暮らしがたいへんだからと言って、被災地に逃げる男がいるんだ!』って私は言いました」ってやったら、ドッカーンってなりまして。(笑)

向後:それは、面白い!(笑)

高山広氏高山:「たぶん被災地で、このネタをできるのは、日本中で僕しかいません。これは、リアルな話しだから」って言ったんですよ(笑)。そうしたら、ドーっと受けまして、そのときの笑い方が・・。普通笑いって、さざ波のように、だれかが笑ってクスクスのあとにドンってなるんですけど、そのクスクスから、ホップステップのステップがなく、そこで、うちのおふくろのことですって話しをして、「日本でこのビビッドな話しをできるのは、僕しかいないでしょ」って言ったとき、みんな足を踏み鳴らして笑われたんですよ。どどどどどどって感じで。それでもう、僕も悪のりして、「これをやるのに、どれほどの度胸がいったと思いますか?皆さんに笑ってもらうために」って言ったら、大笑いになりまして・・(笑)。

向後:そうなったら、もうこっちのもんですね。(笑い)

高山:それしかないと思ったんで、この状況を避けて、なんかソフトに入っちゃってってわけにはいかない。もう、渦中だから、この中の話しで、話題を見つけて行くしか無いというか、そうしたらもう、連帯感が違うんですよね。同じ話題をリアルに共有しているっていうことで。がっと・・。そこからはみなさん、泣きながら笑ってらっしゃいましたね。笑って涙が出てるって言う。

向後:すごいですね。地震のネタで入るっていうのは・・。

高山:もう考えに考えて、だれもがみんな一番避けたいところだし、と思ったんですけど・・。これは、また実話ですし、母親の話しは。

向後:いやあ面白いですね。避けてたらウソになりますからね。

高山:はい。

向後:やらないわけにいかないですよね。

高山:そこをやらないと、どの話しに言っても、こっちを頭でじゃなくて身体で信頼してくれないだろう・・。この人にあずけてこの時間はいいんだというのが、どっかで一回ばっとないと、きっと観てもらえる環境じゃないなという風に思いましたね。

向後:たぶん、そうでなければ、目が泳いだままになっていたでしょうね。

(つづく)

▲ページの先頭へ