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カウンセラーの対談 「第35回「吉福伸逸の言葉」出版記念 執筆者座談会 <第3回>」

第35回 「吉福伸逸の言葉」出版記念 執筆者座談会 <第3回>

新海正彦 プロフィール

アウェアネスアート研究所主宰。吉福氏との出会いは1970年代後半、氏が教えていたサンスクリット語講座に参加したときのこと。20数年を経て再会して以後、晩年の10年にわたって氏のセラピーの現場を体験しアシスタントを務める。
2013年より向後善之氏、ウォン・ウィンツァン氏とともに「体験的グループセラピー」を開催。個人的には不定期で各種ワークショップ、セミナーなどを開催。中でも映像、音楽などを用いたライブパフォーマンスは、楽しみながら深い気づきがあると評価されている。

 

ウォン・ウィンツァン プロフィール

日本トランスパーソナル学会常任理事。ピアニスト、作曲家、即興演奏家。1949年神戸生まれ、1歳より東京で育つ。
19歳からプロとしてジャズや前衛音楽などを演奏。1987年 瞑想の体験を通して自己の音楽の在り方を確信、90年より超越意識で奏でるピアノソロ・スタイルでの活動が始まる。92年インディーズ・レーベル「サトワミュージック」を発足し、30タイトル近くのCDをリリース。コンサート、とくに即興演奏では、音の力でオーディエンスの深い意識とつながり、静寂な音空間を創りだす。
2005年に故・吉福伸逸氏に邂逅、トランスパーソナル心理学に傾倒する。以後、吉福ワークでアシスタントをつとめる。現在、吉福ワークの流れを継ぐ「体験的グループセラピー」を向後善之、新海正彦と、また、アートや創造性にフォーカスした「魂の表現ワークショップ」をウォン美枝子とともに行っている。

サトワミュージック ホームページ : www.satowa-music.com

 

新倉佳久子 プロフィール

臨床心理士。外資系企業勤務後、渡米。カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)心理学科学士号。ペパーダイン大学大学院心理学修士課程修了。 帰国後、心療内科勤務を経て、現在、東京・恵比寿のカウンセリングオフィス「ハートコンシェルジュ」でカウンセリングを行っている。
東京都スクールカウンセラー、私学スクールカウンセラー、区の保健センターで思春期家族教室の講師を兼務。産業領域においては、産業医を中心としたメディカルチームの一員として中東、東南 アジア、オセアニア諸国で働く海外駐在員のメンタルヘルスケアにも携わっている。

 

向後善之 プロフィール

神奈川県に生まれる。石油会社での会社員生活の後、渡米。CIIS(カリフォルニア統合学大学院)では、統合カウンセリング専攻。
サンフランシスコ市営の RAMS(Richmond Area Multi-Services)他でカウンセラーとして働いた後帰国。現在、東京恵比寿のハートコンシェルジュでカウンセリングを行うとともに、アライアント国際大学・カリフォルニア臨床心理学大学院日本校で臨床心理学を教えている。
2013年よりウォン・ウィンツァン氏、新海正彦氏とともに「体験的グループセラピー」をファシリテートしている。
著書に『自分をドンドン傷つける『心のクセ』は捨てられる!』(すばる舎)、『人間関係のレッスン』(講談社現代新書)、「カウンセラーへの長い旅――四十歳からのアメリカ留学』(コスモス・ライブラリー)他。

 

座談会 第3回

ウォン・ウィンツァン(以下 ウォン):吉福さんの話は、すごいと思う。ひとつのことで、どれだけ考えているのかということで・・。

新倉カウンセラー(以下 新倉):内容が深いよね。

向後カウンセラー(以下 向後):それを文章化するとなるとなかなか難しい。

新倉:ウォンさんが今言ったように、吉福さんは、奥行きが深いことをいっしょうけんめい伝えようとしていたと思う。でも、言語は、とても限られた表現形態だし、その中で、より正確に思いを伝えようとすると大変よね。

向後:しかし、吉福さん、よく脱線したなぁ。

一同:笑。

新海正彦(以下 新海):笑顔の吉福さんこの話題のときには、、皆にはこの話が必要だな・・という感じで、どんどん話しを展開していくじゃない。それで、脱線していくんだけど、最後ちゃんと戻るんだよね、全部つながってて。それはスゴイと思う。そのすごさはあるんだけど、結局、時間がなくなっちゃって、「もっと話したいことあるんですけどね」で終わってしまう。ワークでもレクチャーでも配分なんてしないから。

向後:また、参加者の質問に丁寧に答えるんだよね。で、時間がなくなっちゃうのだけど、その質疑応答のやりとりが、参加者にとっては、また面白い時間なんだよね。

新倉:直感的に進めていっていたから・・。

向後:もっと話を聞きたかったテーマがたくさんある。例えば、吉福さんが最後の何年かで言いはじめていたのが、自我には個人的自我とグループ自我と言うふたつがあるということだったのだけど、その辺は、もう少しお話を聞きたかったなぁ。

新倉:どんな話?

向後:例えば、仮面をかぶるというのは、グループの中で自分を存在させるためにしていることで・・。あらゆる集団には、グループ自我というものがあって、そうしたグループ自我に個人的自我は影響されるということ。

新海:社会的自我ということだよね。

向後:そうそう。その社会的自我のことをグループ自我と言っていた。

新海:そこのところで移行していくというのが、アイデンティティを破綻させて新たに構築するということなのかな。

新倉:『アイデンティティの破綻』とか、心理学の教科書には載っていない言葉なんだけれど、その言葉がズバリだから、彼の言葉の感覚っていうか感性ってすごいと思う。一体どこから、そういう言葉が出てくるのかなって・・・。

ウォン:ある意味、すごく文学的なんだよ。60年代、70年代というのは、そういう自己解体とかさ、そういう概念の中に若者がいたという時代だからさ。吉福さんは、そのただ中に青春時代をむかえたわけだよね。そういう意味では、僕は吉福さんの言うアイデンティティの破壊・再構築というのは、すごくわかる。あの時代だから。

向後:僕は、最近、中高年層の破綻みたいなことを考えているんだよね。あまり研究されていない分野なんだけど。とても人格者だったと言われた人が、ある日、とんでもないことをはじめてしまう・・。そういうのって、あるじゃない?例えば、秀吉なんて言うのは、若い頃は人を極力殺さない人だったんだけど、晩年は残酷だからね。みのおどりなんてやってしまう。水に浸したみのを巻いて火あぶりするからなかなか死なない。身悶えして死んでいくんだよね。そういうのを命じるようになるんだよ。

新倉:わ〜残酷!

向後:アイデンティティの破壊・再構築というプロセスをどこかでやめてしまって、逆に自分の暗部を覆い隠してしまうようなことをはじめると、秀吉の晩年みたいにおかしなことになっていくのだと考えているのだけど、吉福さんの理論は、そういうメカニズムを説明し得たんじゃないかなって思うんだよね。その辺を説明してくれる前に、アイデンティティをもう一度破壊して、別な世界に行っちゃったからね。

新海:本格的に破壊しちゃったからね。

新倉:それで、遠いところへ行っちゃったわけね。

ウォン:今回の本では、吉福さんの社会に対する思いなんかに少しだけど、書くことができたのだけど、ヒューマニズムの問題とかね。まださわりだけど、少しでも書いて残すことができて良かったね。ハワイ以前、ハワイ以降というのが吉福さんの中にあるよね。

新海:本当、そう思う。第一章で書いたように、脱構築化ということをやっていたよね。自分自身のものとして、もう一回見直していくというプロセスね。それまで持っていたトランスパーソナルや心理学の言葉を、ハワイの自宅の裏庭を開墾したり植物を植えたりしながら、言葉を置き換えて、脱構築化していったって。ほぼ3年で自分の言葉で語ることができるようになったって言うんだよね。CPCの概念も例えばトランスパーソナル宣言という本の中に出てくるのだけど、もう一度自分の言葉で再定義していったわけだよね。そこで、セラピー的な言葉というのは一切使わないで再構築していったら、4つのレベルやCPCの基本的な考え方が固まってきたみたいなんだよね。

新倉:「アイデンティティを破壊する」とか、「しっかり出会わなければ、別れることができない」などの、ぐっと入ってくる言葉が、その過程で生まれてきた訳ね。

新海:そうだと思う。それであるワークショップで、吉福さんのワークの元は何なのかと聞いたことがあったの。そしたら、「むずかしいねえ」と言いながら、グルジェフワークとチベット密教だっていってた。吉福さん自身もグルジェフワークをやっていたからね。

グルジェフワークのやり方の一つだけど、コミュニティがある程度できあがってくると、コミュニティを育てる一方で、参加者たちをもませてもませて、破綻させることもする。本の”ワークのコツ”にある「そこかと思えばまたあちら」みたいなことをやるんだよね。

チベット密教のほうでも、たとえばミラレパっていう人のエピソードがあって、「ここに石を積め」と師に言われて、弟子は何年もかけて石を積むわけ。やっと積み終えると、今度は「元に戻せ」と言われる。これは業を消すことの説話になるのだけれど、ようするに自分自身が「こんなにやったのに」という思いを捨て去れるかいう修行。きびしいよねー。で、形はぜんぜん違うけど、吉福さんは、似たようなことを僕らにやっていたって思うわけ。

一同:なるほどね〜。

新海:吉福さんは「これは○○ワーク」ですとは言わなかったよね。もうグルジェフワークとか何々ワークとかではなくて、完全に「吉福ワーク」になっていたからだと思う。

一同:そうだね。

向後:僕は、グルジェフワークに出たこともないので、よくわからないけれど、2000年以降の吉福さんは、「ここに石を積め」と「壊せ」ではなかったように思うねぇ。うまく言葉に言えないけれど、もっと示してくれたみたいに感じる。育てようという意思があったように思う。きっと、僕ら「グルジェフワーク方式じゃ、こいつらだめだ」と思われたんだろうね。なにしろ、吉福さんは、辛抱強かった。失敗しても失敗しても、僕らによくやらせたよね。

新海:辛抱強いよね。これは、最後のハワイでのことなんだけど、ある人が、吉福さんに「なんで本を書かなかったんですか?」って聞いたんだよね。そうしたら吉福さんが、「しょうもない人たちを相手にしてやってきたんで、あっ新海さん、『しょうもない』なんて言ってごめんね」って言ったんだよね。

向後:いいねぇ。要は、しょうもないアシスタントたちだったってことだね?

一同:笑。

新海:だから、吉福さんにとっては本を書くことよりも、しょうもない人たちの相手をするほうが大事だったのかもしれない。実体を残したかったのかなと僕は思ったわけ。なんで、しょうもない人にかかわっていこうと思ったのかということなんだけど、それは聞くタイミングがなかった。でも、なんとなくわかるでしょ?

ウォン:彼は作曲家じゃなくて演奏家だった。リアリティが欲しかったんだよ。

新海:作曲家だったら残すもんね。

向後:かっこいいね、それ。びしっと決まるね。

新倉:本のタイトルになりそうじゃない?「作曲家ではなく、演奏家だった」なんて。

新海:しゃべりもそうだよね。残すんだったら、ちゃんと結論があって、それに向かって話していくのだろうけど、そうじゃない。演奏家だから・・。いくとこまで行って。

ウォン:終わりたかったら終わる。

向後:僕らに辛抱強くやらせたのは、ひとつは、吉福さんが力を注いでいた統合失調症に対応できるセラピストを育てたいって言うのがあったよね。そのためには、絶対に妥協しない、そして、自分のプロセスにしっかりと気づいているということを求められたよね。少しでもごまかしがあると、統合失調症には対応できないからね。

一同:そうだよね。

向後:だけど、吉福さんのワークショップに参加し始めた頃はうまくいかない。どうしても適当にごまかそうとしちゃう。後半になって、やっと少し、めざすものが見えてきたって感じかな?

新倉: 吉福さんが、私たちに怒ったことあったよね。指宿のワークショップの時。

ウォン:あった、あった。主催者の人も怒っちゃって。「昨日のは(無気力?)、なんだったんだ?」ってね。そのとき、僕は、吉福さんを見ていたんだよね。そうしたら、吉福さん、スゴい勢いで、みんなを観察していた。あのときのことを、よく覚えている。

向後:いいね〜。僕はあのとき、はずせない学校の用事があって一日遅れて参加したんだけど、ちょうど指宿の会場についたときに、その状態でさ・・。僕は、昼間ぐらいに脳天気に遅れて会場に入っていってさ、みんながいたから、「やぁ〜」って手を振ったら、なんかどよ〜んとした雰囲気でさ、調子狂っちゃったよ。

ウォン:あれは、吉福さんの策略だよ。

新海:最初の日から、4つのレベルのみたてをやったんだよね。

向後:そんなことやったんだ。出たかったなぁ。

新海:それで、みんなわからないからそれぞれ勝手なことをやって、僕もあのとき勘違いしていたんだけどね。それで、みんなに発表させたんだよね。説明も無くはじまったから、みんなも勘違いしていて、それを次の日の朝、「なんなんだ、あれは」となったわけだよね。でも結局そこで、吉福さんの術にはめていくんだよね。

ウォン:術にはめていく・・ははは!

向後:でも、それ、要するに、吉福さんの自分の説明不足じゃない!(笑)

一同:そうそうそう!(笑)

新海:説明不足に対する自己防衛。

新倉:そう、前日けっこう夜遅くまでやっていて午前0時半は越えていたと思う。なので、みんな本当に疲れていて、それなのに、翌日の朝、吉福さんの不機嫌さではじまって何なのこれっ?て思ったわ。そうしたら、向後さんが、脳天気に会場に入ってきたのよ。

向後:お昼頃にね。

新海:絶妙だね!

ウォン:あのときが、参加した吉福ワークの中で、一番の緊張感だったね。

新倉:緊張したよね〜。会場の空気は非常にぴりぴりしていたもの。

向後:あの4つのレベル・・難しい概念だもんね。「Power of Being(存在の力)」のレベルなんて、難しいよな・・。吉福さんが何ていうか分からないけれど、僕は、一番下が「Power of Being(存在の力)」で、その上に、個人的なレベルでは「Power of Brain(あたまの力)」と、「Power of Emotion(情緒・情動の力)」が乗っかっていて、集合的なレベルでは、「Power of Becoming(関係性)」が乗っかっているというイメージを持っているんだよね。要は、中心に「Power of Being(存在の力)」があるようなモデルなんだけど。

新海:だから、コンテキストになるんだよね。

ウォン:結局、そこに繋がっていくんだけどさ。

向後:他者との関係性と個人的な内省があって、存在のレベルがあるってイメージなんだよね。

新海:吉福さんのは、存在のレベルの下に「Power of Becoming(関係性)」があるわけなんだけど、それは、全てのものとダンスできるかということなんだよね。おぞましいものとダンスできるのかということ。

向後:なるほど〜。

新倉:「Power of Becoming(関係性)」だけ、こっち(右側?)にあったでしょ。

ウォン:「Power of Becoming(関係性)」は、全体にかかっていて、ヒエラルキーにかかっていなくて、ちょっと横にあるという感じだった。それを下と見るか横と見るかは微妙なところがあってね。

新倉:指宿のワークじゃなかったと思うけれど、吉福さんから「新倉さん、ちょっと書いてくれる?」って言われてホワイトボードに書いたことがあるの。下に書こうとしたら、そうじゃなくて、「Power of Becoming(関係性)」は横に書いてって言われた。

向後:そのとき、ひらめいたんだよ。

一同:そうだきっと!(笑)

新海:あれはちょっとややこしい話だと思うんだけど、語り口によって2通りあると思うんだよね。あの話しをするときに、関係性を中心に説明するときにはわかりやすくPower of Becomingが横にくる。でも”自分の外にあるものは全て自分の内にある”ってところまで語るときにはPower of Becomingが一番下にくるんだよね。

向後:この辺のこと、もっと吉福さんと話したかったなぁ。でもさ、今、思ったんだけど、吉福さんは、僕らの失敗を見て、自分自身を改良していったって側面もあるよね?

一同:あったあった(笑)。

新海:自分が進化するために、僕らの失敗が必要だったんだよ。

ウォン:それあるかも。

一同:

向後:過剰介入でも過少介入でもなく、最後の方とてもバランスのとれたワークになっていったのだけど、その過程で、いろんな場面で、僕らが大失敗しているのを見ているからね。僕らが必要だったんだ!

新倉: 最初の頃とはずいぶん変化したよね?私がはじめて参加した時は、随分激しいボディーワークをしていたこともあったよね。人をくるんで布団蒸しみたいなのとか。ああいうワークは、ずいぶん衝撃的だったなぁ。本当にびっくりしちゃったわよ。

向後:それがずいぶん変わったよね。いつの間にか変わっちゃっていて、ずるいよね〜。

新海:あれ、ずるかったよね。

一同:

向後:吉福さんのワークに参加しているうちに、僕自身も変わっていったと思う。吉福さんと出会ってなかったら、どうなってたかって考えてしまうことがあるよ。僕が吉福さんとはじめてあった頃は、ちょっと行き詰まっていたときだったからね。おれのやり方でいいんだろうかってね?思っていた時期なんだよね。高岡よし子さんから紹介されて、伊豆ではじめて吉福さんに会ったのだけど、そのとき、本当にほっとした。

新倉:どんな感じだったの?

向後:吉福さんって言うのは、僕にとってはビッグネームなんだよね。1980年代に吉福さんの訳した本とか著作とかをむさぼるように読んでいたからね。この世界に来たのも、吉福さんの本が影響しているといえる。その人が、「や〜、あなたが向後さん?」って、にこにこしてやってくるんだよね。うれしかったなぁ。大先生って感じじゃないんだよね。全然。

新海:吉福さんは、「先生」って呼ばれるの嫌だったよね。

向後:一度さ、冗談で、「吉福大先生」って言ったら、顔つきがかわって、本当に怒った顔になったことがある。

ウォン:あがめたてまつると、本気で怒ったりしていたね。そっち系の話だとね。

向後:その手の話になると、冗談通じないんだよ。なんなんだろうな?あの背景は?

ウォン:先生とあがめられること、それからカリスマになることを徹底的に避けていたように思う。でも、大学の先生とかしてたら、学生からしたら面白かっただろうね。

向後:確かにそうだね。

ウォン:吉福さんは、どこに目がついているのかというくらい一人一人をよく見ていたよね。

一同:そうだったね〜。

ウォン:思い返すと、吉福さんは、僕のプロセスをずっと見ていたなと思う。それが、今だとよくわかる。

新海:うらやましいよね。ウォンさん、愛されていたよねって思うもん。

一同:ははは〜!

向後:いろいろなことがあったよね。まだまだ、お話聞きたかったんだけどね。

一同:そうだねぇ。

新海:吉福さんが亡くなる直前に、ハワイの吉福さんのお宅に行ったのだけど、吉福さんは、最後けじめをつけていったみたいだったね。

ウォン:僕もお宅にうかがっていて、それを感じたね。

向後:そうか・・。僕は、間に合わなかった。

新倉:私も・・・5月まで生きていてくれると思ったのだけどね。

向後:ウォンさんと新海さんは、会うことができたんだよね。

ウォン:何日か会うことができた。たくさんの人が集まってね。最期には立ち会えなかったのだけど、ティムが般若心経を唱えて、弟さんが来て、みんなに挨拶をして夕方に亡くなったんだよね。

新海:僕は、マッサージとかしたんだけど。マッサージ係みたいになってね。僕が行ったときは、一時的に元気になっていたんだね。

新倉:新海さんにメールを4月下旬に入れたじゃない。そうしたら、けっこう良い時と悪い時で差があるって書いてあった。なんとか、間に合うかなと思っていたのだけど、それから4日か5日して亡くなった。

新海:そうね〜。

ウォン:もうちょっとって感じがあったんだけどね。

新倉:吉福さん、病院嫌いなんだけれど、本人は、自分では癌だということが分かっていたらしいのよね。

新海:そうだね。「新海さん、なんでこうなっているのか、全部わかっているんだ」って言ってたね。

新倉:そう言えば、亡くなる2〜3年前ぐらいから、「時間がない」ということはよく言っていた。

向後:「(自分の考えをまとめて)書かなきゃ」とか言い始めたのは、そのころだよね。

ウォン:最期はさ、「やり残したことがいっぱいあるんだよ」って言っていたなぁ。「しょうがないけどね」ということも言っていた。

新海:でも、整理もしていたよね。これは、あなたにまかせたよということを伝えていたね。きっちり片付け、決着つけられるものは決着をつけて、できないものはそれまでのこと、みたいに整理していたように思える。

向後:吉福さんは、たくさんのことをなしとげてきた人だし、ご自身の人生に納得して、あちらに逝かれたのだと思う・・。

おや、そろそろ、お時間になっちゃった。今回の「吉福伸逸の言葉」で、少しでも2000年以降の吉福さんの考えを残したいと思ったけど、吉福さんは、あちらで、なんと言っているかねぇ?なにも言わずに、にやにやしているのかな?

新倉:「なかなかよく書けているんじゃないですかね?」って言っているのでは?

新海:「あれ、読みましたよ、がんばったねー」とか言うだけで、感想なし、とか(笑)

ウォン:頭抱えてるかもね。www

向後:・・と、いうことで、そろそろ、締めましょうか。今日のみんなの話、吉福さんに、伝わってますかね?

吉福さんのハワイの海でのメモリアル:地元のサーファーたちがお別れをしました
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