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カウンセラーの対談「第42回 藤田博史氏、新倉カウンセラー対談 <第2回>」
第42回 藤田博史氏、新倉カウンセラー対談 <第2回>
藤田博史氏(ふじたひろし)プロフィール
医療法人ユーロクリニーク理事長・院長。
フランスの精神分析に精通し、特にジャック・ラカンの精神分析理論に関する研究では日本の第一人者。また、日本のへき地・離島医療にも造詣が深く、東京都小笠原村診療所、母島診療所、利島村診療所非常勤医師および東京都御蔵島村診療所長を務め、約10年間に渡りへき地・離島医療に従事。
2001年から2002年まで早稲田奉仕園および東京芸術劇場で一般公開セミネール「人形の身体論ーその精神分析的考察」、2003年から2011年まで日仏会館で一般公開セミネール「心的構造論ー精神病の精神分析的治療理論」、2012年から「治療技法論ーラカン理論に基づく治療技法の実際」、2013年から「精神分析の未来形ー厳密なサイエンスとしての可能性を探る」、2014年から「海馬症候群ー量子力学と精神分析の甘美な関係」、2015年から「オールフラット理論ーホログラフィック精神分析入門」、2016年から「精神分析原理 Principia Psychoanalytica ーフロイト・ラカンが仕掛けた陥穽」を主催。2003年に新宿ゴールデン街に「精神分析的実験バー CREMASTER」を設立し、毎週木曜夜には「フジタゼミ」がおこなわれている。なお身体的特徴として内臓逆位であることを自ら公表している。
インタビュー第2回
藤田先生(以下藤田):さすが、読んでいらっしゃいますね(笑)。フロイトによれば、抑圧には最初に生じる原抑圧とそれに続く後期抑圧があります。
新倉カウンセラー(以下新倉):まずその違いがよくわからないのですが?
藤田:最初に生じた抑圧が原抑圧。そのあとに続くのが後期抑圧。最初に生じた抑圧がひとつの謎なんだと。つまり一般的に考えられるのは耐え難い現実、それが自分の周りにあったときに自分の心の中に押し込めてしまって、それでもう出てこれないようにする。
新倉:所謂、蓋をするということですね。
藤田:実はその最初の蓋に相当するのがラカンの言う一番目のシニフィアンなんです。このシニフィアンは真理とか父の名などと呼ばれたりします。この最初の抑圧つまり原抑圧が生じる契機について、フロイトは大変面白いことを言っているんです。つまり、外力だけでは原抑圧は起こらないと。
新倉:えっ?環境的なものだけでは起こらない?
藤田:そうなんです。なんと内からの引力が働いていると考えたんです。
新倉:えっ?!!!
藤田:つまり内側から引っ張っていると。だから原抑圧が起こるには外力だけではなくて何か引力のようなものを想定しなければ説明できないと。
新倉:面白い〜。引力ってもう少し具体的にいうと何なのですか?
藤田:いゃ、これいまだに謎です。この謎に答えられる人がいるのか疑問です。いずれにしても、フロイトの姿勢は「わからないことはわからないままに記述しておく」というもので、その答えは後になって判るだろうという考え方なんです。直感的に「引力のようなものが働いている」と考るところにフロイトの天才があると思います。
新倉:それではその解除ってどのように起こるのですか?
藤田:原抑圧というのはシンプルに言うと人間が言葉を身体の中に格納するっていうことなのですね。言葉を覚えるとうこと。
新倉:私たち人間は、みんな言語を習得しますよね。
藤田:そうですよね、フロイトの論文にありますが、その中で小さな子供がベッドの下に糸巻きを投げてはまた引っ張り出して遊んでいたんですよ。フォルト・ダー、フォルト・ダーと言うのを見て、これが人間の最初の対象関係の基本になる抑圧が生じている瞬間なのだと。つまりフォルトのオーという音素とダーのアーという音素の対立によって世界が切り出される瞬間をフロイトが記述しているのだとラカンが解釈しています。そこで何が起こっているかというと、私たちは最初の言葉を身につけた、最初の言葉っていうのは世界を切り取る道具なので、言葉を獲得することイコール世界を切り出すことでのです。原抑圧というのは、その最初の言葉を自分の中に取り込むことなんですね。その後は、芋づる式にどんどん取り込まれていくわけですけれども、最初の取り込みのときに重要になってくるのは母親の不在なんです。
新倉:それは何で?
藤田:母親って四六時中ついているわけではなく、いなくなったりするわけです。子供をおいて部屋をでることもある。ちっちゃな子供は幻覚を作り出す能力があってそこに母親の像を見出したりするようですが、そのうちに母の不在が言葉にとって代わられる。例えば母親が不在のときに、「ママ」って発音すると、母親の不在をママという音素で置き換えることができるわけです。それが原抑圧の最初。ママって言ってもママがいないからママから発した色々な言葉がどんどん出てくる。どんどんと言葉を掴んでいくのだけれど、最終的に欲しいものではないので、どんどん言葉を獲得してゆく。そうすると言葉によって段々と自我の殻ができて自我が言語で構成されてゆく、というのがラカンの考え方です。だから編み物でいうと一番最初の結び目っていのかな。ですから最初の結び目をほどいてしまうと編み物は連鎖的に全部ほどけてしまう。で、精神病の発病はおそらくその最初の原抑圧、格納されたものが実は無かった、そしてそのことが明らかになってしまう思春期にそれまで編み上がっていた世界が解けてしまうという考え方ですね。そうするとその上に重なって作られていた世界の意味とか基盤が全部崩れてしまう。
新倉:それが、世界崩壊、没落体験ということに通じていくということですか?そのほどける契機をどうお考えですか?
藤田:これは仮説ですが、蓋をしたつもりが実はされていなかったということですね。つまり最初のシニフィアンを取り込んだつもりが取り込まれていなかった。つまり蓋がちゃんとされていなかった。それを気づかないまま言葉の世界に入っていった。思春期になると自我が肥大し「父とは何か?」とか「自分とは何か?」とか問い返す時期が来て、実はそこに蓋がされてなかったということを目の当たりにしてしまう。そうするとガラッと世界が変わってしまう。そこで起こっているのが原抑圧の解除。つまり蓋が取れてしまう。
新倉:統合失調症は思春期以降の発症が高いと言われていますよね。
藤田:中学二年生くらいが一番発症すると言われていますよね。今は低年齢化しているのかもしれないけれど。つまり穴がぼんと開いてしまうんですよね。開いたままだと作り上げた世界が急速に崩壊してしまう。だから一番ひどいのはいわゆる破瓜病で、思春期に発病してみるみるうちに動物化というかある意味人間ではなくなってしまう。
新倉:人格荒廃というものですね。
藤田:ただ殆どの人がそうならないで幻覚・妄想を作り出したりする。幻覚・妄想は、完全に荒廃しないようにするための治癒のための努力ですね。開いた穴になんとか蓋をしようとする。
新倉:それはとても興味深い考え方ですね。荒廃しない、廃人にならないように蓋をするために幻覚や妄想を作り出す。ほどけたところ、蓋の開いたところをそれらで埋めてゆくことによって、何とかその人の世界観を保とうとするという感じなのでしょうか?
藤田:厳密に言うとね、私たちの住んでいる世界というのは必ず意味があるでしょ。意味のもとになる核になるものがある。哲学者の真理というもの。その真理に支えられて全てが意味をもってくる。すべての意味の背後には真理がある。ところがその真理がないんですよね、スキゾフレニアは。だから別の真理を求めてくる。ところが別の真理がくるとその真理に従ってすべてのものの意味が変わる。だからいままで私たちが常識で考えていたような意味じゃなくなるわけですよね。その向こうに誰かいるとか、声がするとか、真理がすり替えられる状態。ただ穴があいたままよりは、とんちんかんな真理を埋め込んだほうが病気は進行しない。
新倉:それは先生ご自身の臨床経験でも感じられることですか?
藤田:感じますね。強くありますね。妄想が盛んなうちは、病気は進行しない。
新倉:うーん、でも日本の精神医学界では、幻覚・妄想は急性期の中核症状として捉えそれを取り除く、抑えるために服薬を促すし、強い薬を使うじゃないですか。もし、今の先生がおっしゃった考え方が基盤にあるのであれば、何とか本人が保とうとしている世界を薬は阻害するという働きになってしまうのではないかなって思います。
藤田:病気になっているのは自我じゃなくて、自我が立っている土台が病気になっているんですよね。だから自我にとっても原因不明なんですよ。外に出たら車がいてナンバープレートを見たら私の誕生日じゃんって。その瞬間、向こうで人が呼ぶ声がしたり、確かに自分の名前を呼んでいたりとか。すべての意味が変わってしまう。その隠喩核がすり替えられることがスキゾフレニアなんだけれど、それは人間存在の中の隠喩核であって自我じゃないんですよ。自我もなにが起こっているのかわからない。だから朝起きてみたら急に怖くなって人に言ったりすると「あいつおかしい」ってことになるんだけれど、もう本人はミステリーの世界に放り込まれているんですよ。立っている地盤、つまり真理がすり替えられてしまっている。世界を支えている意味の根源っていうのかな、すべての意味を保証している根本の部分の穴が開いてしまっている。だからその穴が開いたままだとすべての意味が壊れてしまって崩壊してしまうのだけれど、そこからやはり自己治癒能力があるんですね。そこで妄想を作ったり・幻覚と作ったりして支えようとしている。ただ、それは自我が作ろうとしているわけではなく身体レベルで治ろうとしているわけだから自我は被害者になるわけですよね。
新倉:そうすると、薬で抑えましょうという方向でやっていくと幻覚・妄想はある程度消失した状態になっていくけれど、結局、穴のあいた部分はそのままですよね。そうすると人間の機能として元の状態に、蓋が完全ではなくてもある程度閉まっていた状態に戻すということが難しくなるのかなという気がするんですけれど。
藤田:問題は最初にやらなければいけなかった蓋を後付けでできるかってことです。
新倉:はい、そこの所が可能なのか?と。
藤田:それがひとつのテーマになりますね。私は出来ると思っている。
新倉:どういう風に、どんな所で出来るという感触を先生は得られているのでしょうか?
藤田:先ほどお話した新海安彦先生が報告している“逆狂性健忘”という症例があります。「きょう」は狂うの「狂」です。逆向性健忘は、交通事故で事故以前の記憶も思い出せなくなってしまうのですが、そうではな回復するとスキゾフレニアであった時期のことを思い出せなくなるんです。それが逆狂性健忘です。こんな症例があったんですよ。精神病院に長いこと入院していた女性患者さんがある朝ナースステーションにやってきて、私はどうしてここにいるんですか?と言い出した。で、先生が診察したら、ずっと入院していたことはすっかり忘れていて正常になっていた。
新倉:何が起こっちゃったのでしょうね?
藤田:つまりここで考えられるのは、並行世界、多世界っていうのかな、要するに表面に出ていた世界はフキゾフレニアの世界で、同時にノーマルな世界もその水面下で進行していた。電車の軌道が交叉するようにそれが入れ替わった。だからいままでの病気だった状態を忘れて、いままで水面下で動いていた世界が上がってきた。これってまさに我々が夢を見ているときに覚醒するのと同じですよね。
新倉:あぁ、夢の内容は曖昧だったり、なかなか思い出せないですものね。夢日記とかつけようと思ってもすぐに忘れてしまい書けませんよね。
藤田:つまり精神病っていうのは、いままで不可逆的な病気でりんごが腐るみたいに腐ったものはもう元にもどせないっていう考え方だったのですが、そうではなくて、スイッチを切り替えれば戻るんじゃないかということなんです。ですから我々がトライしなければいけないのは、そのスイッチがどこにあるか、どうやって切り替えられるのかを見出すことなんですね。『精神病の構造』でも触れましたが、そのスイッチの切り替え方を我々が発見できればスキゾフレニアは、水面下で進行している正常な人格とスイッチさせることができると考えています。
新倉:私自身も統合失調症のクライント、結構重い病態の人をみてきましたけれど、いまスイッチっていう言葉を先生は使われたけれど、核となる部分でのアプローチは、そのクライアントの良くなるスイッチを幻聴の内容などに耳を傾けながら探す作業をやっていきますね。結構時間がかかりますが、こんなによくなっちゃったのね、という症例があります。最初のクライアントの状態や様子を知っている人たちは、数年後にそのクライアントに会ったときに同一人物だとわからないぐらいです。先生は、そのスイッチを見つける作業をどのような形でするのですか?
藤田:実は、今までの症例だと原因不明なんですよ。突然よくなるんです。私の知り合いの、知り合いの山梨医科大学の学生さんで一年間休学していて復帰した学生さんがいるんですが、休学していた間はスキゾフレニアの診断がついて幻覚も妄想もあって、あるときスイッチが入るようによくなって復学してきた。でもその一年間のことは憶えていなかった。
新倉:先ほどの逆狂性健忘の症例と同じですね。
藤田:はい、だからこれは構造的な病だと。つまり何か果物が腐ったような元にもどせない変化じゃなくてもっと構造的な、元に戻せる変化なんですね。
新倉:くるって感じですかね。何かを入れ替えるような。
藤田:元に戻せる変化だという立場から研究をしているんですよね。もう元に戻せない病気という見地からは、何の治療法も生まれない。要するに投薬をどんどんするってことですけれど、精神科医なら分かるのですけれど、むやみやたらに幻覚や妄想を取ろうとすると悪くなります。だから幻覚や妄想は、ある程度保っておかないと、きれいさっぱり取ってしまうと自殺したりします。
新倉:そうですね、幻覚・妄想がクライアントにとって頼みの綱みたいな役割を担っているところがありますよね。クライアントに幻覚・妄想の内容をよく聞きますが、全然関係や脈絡のないものが出てくるのではなくて、その人の今までの人生や生活の中で何か鍵となることがあって、それが幻覚・妄想となる印象を持っているのですが、いかがですかね?
藤田:「醒めて夢見る人」っていう言葉がありますよね。スキゾフレニアの患者さんは、醒めているんだけど夢を見ている。そして、その人に接する私たちは、その人の夢の中の登場人物なんですよ。つまり醒めているんだけれどその人は夢を見ているんですよね。だから夢の中の登場人物である治療者に何ができるかというと、つまりその夢から醒めさせればいいわけでしょ。ところが治療者は、夢の中の登場人物なんですよ。夢の中の登場人物がその人を目覚めさせる方法を考えればいいわけです。それに働きかけるのは、おそらく生理的な方法ですよ。
新倉:生理的な方法と言いますと?
藤田:夢の中でトイレに行きたくて我慢ができなくて目覚めることってあるじゃないですか。夢の中の登場人物がもうそろそろトイレに行ったほうがいいよとか、もうそろそろこの部屋から出ていたほうがいいよいたいなことをするということじゃないでしょうか。向精神薬を与えるっていうことはその夢自体の構造を破壊してしまうことになるので、夢の中の登場人物も危うくなってしまう。つまり投与することによって、自分の治療者としてのポジションも危うくなる。だから基本的には、向精神薬は投与しないんですよ。
新倉:そうすると向精神薬を投与することで治療者が消えてしまって、治しようがなくなってしまうし、治りようもなくなってしまうってことですかね。
藤田:そうです。要するに治療的な会話ができなくなってしまうってことです。夢の中から治療者が消えるってことは。ほとんど私は使わないですね。使うとしてもすごく邪魔をする幻覚のとき。すごい意地悪を言ってくるとか、そういう場合はロナセンとかセレネースとか最小限一時的に使って落ちついてきたらすぐに切っちゃいますね。私がスキゾフレニアの患者さんに使うのはマイナートランキライザー、所謂、安定剤だけですよ。しかも単剤で。
新倉:単剤処方は、ご自身の中で何か根拠があるのでしょうか?まぁ、日本は結構カクテル処方が多いと言われていますが(笑)
藤田:幕内弁当みたいですよね(笑)研修医になった頃はそうでしたよ。やっぱり、先輩の先生がたの処方を引き継ぐわけでしょ。えっ?なんで似たような種類のお薬が幾つも入っているんだろうって。あるとき聞いたら、最初は少なかったんだけれど、だんだん足していったと。
新倉:足し算方式なのですね。
藤田:入れ替えないで、足すのです(笑)。どんどん足して10何種類飲んでいる患者さんなどざらでしたね。そうしたらもうどの薬が効いているのかわからなくなっちゃう。で、私の場合は、フランスのニース大学へ留学したときに、そこで“wash out”って英語ですが、入院してきた患者さんの薬を全部抜くことを経験した。薬を抜いて患者さんの生の姿を見て、それからあらためて独断ではなくスタッフ全員でディスカッションをするのです。ドクターだけでなく、ナース、サイコロジストとみんなで多角的に見てディスカッションをするわけです。そして、まずこれでいこうと単剤を決める。そして効かなかったら、それをまたディスカッションする。そこからですね単剤治療、できれば飲まないっていうのが基本です。
新倉:日本はドクターの独断が多いですけれど、患者さんの生の状態を見てみんなで病態を話し合う場があるということですね。そして薬の効用の見える化を図るわけですね。その後、なぜ日本に戻ってこられたのですか?何年でしたっけ?
藤田:94年に離島医療をやろうと思って戻ってきました。
新倉:ニース大学での精神医療に携わって日本に帰ってきて、日本の精神医療現場へ戻ろうとしたけれど落胆が大きく離島医療への転換なのですか?
藤田:いや、もう戻るもなにも絶望的な感じですよ、日本の精神医療は。フランスにいたときに父が他界して、やっぱりお医者さんっていうのは人の命を救ってなんぼの世界なんですよね。私の母は、私が医師になって1年後位に亡くなって、それから7年後に父が独りで部屋で脳出血で死んでいたところを発見された。つまり両方に対して私は何にも出来なかった、無力だった。直ぐその場で人を助けられないのであれば医者になっている意味がないと思いました。もう、その場で死にそうになっている人を救えない精神科医はまっぴらゴメンだと思ったんです。研修医のときにこんなことがあったんですよ。患者さんが頭から血を流して倒れていて、そしたらその先輩の精神科医が看護師に向かって「医者を呼べ!」って怒鳴ったんです。お前医者じゃないかって!(苦笑)。
新倉:それ、ちょっと滑稽ですね(笑)。よく新幹線とか飛行機で病人が出てアナウンスがかかると精神科医は息を潜めて手をあげられない方が結構いるって聞きます。
藤田:まさにその通りですね。だから直接人を助けられないのが耐えられなくなって、精神科の研修が終わって86年かな救命救急医になったんですね。麻酔科で麻酔蘇生のトレーニングをして、それでもなにか自分の中で何かモヤモヤしていて、医学とはまったく関係ないニース大学の哲学科の大学院へ行ったんですよ。
だけど、何かみんな空想の世界に生きているような感じがしてつまらなかった。医学以上につまらなかった(笑)。で、ニース大学の精神科の教授に手紙を書いたら返事がきて、面接へ行って、どうして精神医学を学びたいかということを一生懸命説明したら、明日から来なさいっていわれました(笑)。
新倉:さすがに、早いですね。日本ではあり得ませんね。
藤田:在仏時に、お金を稼ぐために東京都の離島で時々短期のアルバイトをやっていたんです。登録しておくと連絡が来るんですよ。1週間〜1ケ月くらいの滞在。私の赴任することになった御蔵島へも行ったんです。二週間位のはずだったのに、秋の運動会のシーズンで運動会に参加したら村の人たちがすごく気に入ってくれて、あの先生に来て欲しいってことになった。村長がやってきて、ここの医者になってくれって言われて、ちょっとだけですよって言って結局それから4年いました。
新倉:ちょっとだけのつもりが4年ですか(笑)。
藤田:そこで良いことも悪いことも経験しました。悪いことは村社会の怖さ。
新倉:やはりそうなのですね。村八分って言葉あるように村社会の閉塞感がある。
(つづく)