カウンセラーの対談
第7回 オキタリュウイチ氏、新倉カウンセラー対談
オキタリュウイチ氏 プロフィール
1976年、徳島県生まれ。早稲田大学人間科学科中退。1999年、問題となっていた「キレる17歳」に向けて「100個いい事をすると願いが叶う『HEAVEN'S PASSPORT』」を開発、15万人が参加。社会現象となり、「キレる17歳」という言葉を社会から消す。
2007年9月「生きテク」を立ち上げ、自殺者激減の実績を出すべく、活動を実施。その功績が認められ、2008年に財団法人日本青年会議所・NPO法人人間力開発協会が主催する青年版国民栄誉賞"人間力大賞"受賞、"厚生労働大臣激励賞"受賞。慶応義塾大学、駒澤大学などで特別講義をおこない反響を呼ぶ。
世田谷区こころの健康専門部会・委員。
民主党管直人氏ブランディング、高野山金剛峯寺「高野霊木」ブランディングプロジェクトなどに参画。
2010年5月、株式会社ポジメディア代表取締役CEOに就任。
インタビュー
新倉カウンセラー(以下 新倉):本日は対談を快諾頂きましてどうもありがとうございます。
オキタリュウイチ(以下 オキタ):「生きテク」の説明も後でさせていただきますが、「生きテク」を始める前に、2006年の年末ぐらいなんですけど、3か月くらい僕自身が何をやりたいのかが分からなくなった時期がありまして。精神科にはかかったりはしていないんですけど、今思うと相当うつ状態だったのかなという時期があったんですね。それから、自分で試行錯誤しながら吹っ切れたという瞬間があるんですけど、結構自己流でやって、今はもちろん「生きテク」を始めて、成果が出始めて、それによって勇気付けられて、自分の判断基準がスッキリしたんですね。その前は世の中の判断基準に、「こうですよ」とか「こうすべきですよ」とかにがんじがらめになった時期があって、そういうことで悩んでいる人って相当多いんじゃないかな…と思うんですけど。それはどう解釈されるんですか?
新倉:カウンセリングルームをご利用される方は、まず何かしらの悩みを抱えていらっしゃる方です。今オキタさんがおっしゃったように、「こうすべき」、「ああすべき」というような自分の中での規範や、それらはその人が育った環境や家族が引きずっている規範や価値。それが上手く自分の中でおさまりがついている時というのは、何となくそのまま行けますけれど、そこにたとえば大きな疑問を感じたりとか、あるいは今までようにうまく処理することができなくなった時に、ドンとある壁みたいなものにぶつかって、非常に閉塞感みたいなものを感じて悩みが出てくる。悩みが出てくるとどうしていいのかわからない。だから専門家であるカウンセラーに相談してみようということでいらっしゃるという方が多いです。
オキタ: ケースによると思うのですが、何か多いケースというのはあるんですか?
新倉:いろいろあるんですけど、たとえば職場の問題があります。職場と言うのはいろいろな仕事があって、企業風土や組織風土があります。入ったけれどもなかなかその企業風土になじめなかったり、あるいは異動で新しく配属された部署の雰囲気が違うと、そういったところで違和感みたいなものを覚え、うまく適応できないというのが結構多いです。あとは家族の縛りですよね。家族が持っている価値観、基本的には両親がこうあるべきという価値観を子供に教えていくわけで、それを子供も引き継いで生きていくなかで、実際に自分が社会人として社会に出てみて、あるいは学生でも友達と接していく中で、今までは家で教えられたことや、当たり前だったことが、実はそうなのかな?と初めて自問自答を始めるというようなことも結構あるような気がします。
オキタ:何か社会の価値自体も結構その時の状勢によって変わっていくと思うのですが、結構それが絶対だと思って苦しんでいる人が多いのかなと思っています。本当は自分でチョイスしたりデザインしたりできて、価値観は多様なはずなのに、たとえば上司にこう言われたというのが絶対になってしまうという。フラットに選択肢が提示されないということは苦しみの一つなのかな。それが合う合わないということしかわからない。たとえばA,B,C,D,Eという選択肢があってEという選択肢を目の前に突きつけられて、それが合う合わないということしかわからない。けれど、A,B,C,D,Eという選択肢が提示されてEは合わないけれど、Bが合うんだということがわかれば、たとえば職場にしても自分の人生を自由にデザインできていくと思うんですね。
新倉:デザインという言葉はいい言葉ですね。
オキタ:そういったことが本当はいろいろな局面で可能なはずなのに、わからないという。僕自身も実際にこういうことが起きた時に、「どうしよう、他に選択肢がないのかな・・・」とわからなかった。
たまたまブランド関係の仕事をしている関係で、経営者のお知り合いが多いんですね。そうした方の中でも、「今でこそ言えるんだけど、数年前に3億円くらい負債があって、そのとき誰にも相談できなくて、死のうと思ってたんだけれども、たまたまこの本を読んで、死ぬことはないんだと思った」ということを言う方もいらっしゃいます。結果的にその方は借金を全部返していて、黒字経営をしていますが、あの時にもしあの本に出会っていなかったら死んでたという「もし」みたいなものが結構あって、偶然運よく見つけられた人というのは、運よく生きているんですけど、運悪くそれを誰にも相談できないとか、そういう本とか人とか場所とかにめぐりあわず、選択肢がないと思って亡くなる方が年間3万2千人もいらっしゃるということで、これは相当多いなと思っています。
特に今、ネットで「自殺」を検索する方もすごく多くて、「自殺+方法」というキーワードで検索すると、自殺の方法がズラっと出てきます。その中からメニューを提示されると選んでしまうんですね。
新倉:たとえば、「練炭自殺」とか、そういうことですよね。
オキタ: でも、解決策のカタログがないんです。友達とかにも「自殺したい」と相談されて何か探し始めても何もない。なかなか出てこない。隣の家でも同じような状況で解決策を探しているかもしれない。そういうのがゼロから始まるんです。問題解決を探すという作業が。
僕らは2年半くらい「生きテク」で問題解決を集めてアーカイブ化しているんですけど、未だに「こんなユニークな解決策があるのか」というものに出会います。
それを何年かかけて集めていくと、ウィキペディアじゃないですが、パズルのピースが埋まっていくように解決策ができてくる。
ゼロからですと、人生の時間が非常にロスですし、結果的に先に死のほうにたどり着いてしまう仕組みになっている。
オキタ:亡くなる前に相談してから亡くなる方というのが25%くらいと言われていて、75%くらいの方は誰にも相談せずに自殺することを決めて、方法をセレクトして準備して、実行して成功するパターンがある。その前に自分にとって適切な自殺の方法とは何かということを調べているはずで、自殺マニュアルを購入することもあるし、ネットでも調べる。するとご丁寧に、市場にタスク化されたものが出てくるんです。それをこなすのに優秀な人が多いのだろうなと思っています。
一度自殺未遂をした人どうしを2人で会わせたことがあるんですが、そうすると、自殺の方法についてすごく盛り上がるんです。何に悩んでいたかというと、その自殺の方法なんですね。たとえば首吊り自殺の場合は、喉仏の下何センチのところじゃないと即死できないよね・・・とか、そういった情報にすごく詳しいんです。技術に取りつかれていくとどんどん詳しくなって、それをある日実行してしまうんです。
でも、問題解決の方法というのはカタログ化されていないんです。自殺未遂をした方に、「何で死のうと思うのですか?」と聞くと、「リセットしたかった、死ぬとリセットできると思った」って言うんです。残された友達とかからすると、別にリセットされないわけなんですが、本人的にはリセットできると思うみたいなんです。でも、リセット方法は自殺だけじゃなく、他にもリセット方法はありますよね。それを提示できないかなと思ったんです。そのリセット方法に「生きテク」という名前を付けて、カテゴリーに分けてカタログ化をしました。
新倉: 8種類に分類されているわけですね。
オキタ: 今は120くらい事例があるのですが、似ているものを分類していくと8種類くらいに分けることができます。「生きテク」を始めた当時の厚労省の自殺の分類も、いじめとか、健康とか、借金とかで8種類くらいありまして、解決策も8種類なんですね。ですから、8×8で64パターンの解決策が見つかるはずなんです。今まではそれが見えなかったけど、それをセレクトできる状態、可視化されれば、「自分の状態はこれで、向いている解決策はこれとこれ・・・」というように好きなだけバイキング化できる、好きな解決策をセレクトできることが、本当は簡単にできるはずなんですね。それでアーカイブを作って一か所に集めましょうということを始めました。
新倉: オキタさんご自身も、今思えばうつだったのかったのかなと、その時自分なりに解決策を何となく見い出してとおっしゃっていましたが、具体的にどういう解決策だったのですか?
オキタ: ちょっと僕の場合は特殊だと思うんですが、2006年の年末ぐらいは殺伐とした仕事も多くて、4、5年かけてだんだんうつ状態になって行きました。僕は過食をしてたんですね。それで、20Kgくらい肥ったんです。
新倉: かなり食べていましたね(笑)。
オキタ: かなり食べてました。だいたいその日の夜に辛いものや甘いものを買ってくるんです。食べたくないんですが、手が動くんです。それで、泣きながら苦しいって言いながら食べるんです。
新倉: 詰め込むっていう感じですね。
オキタ: 何か心理的に欠けているものを食で補おうとしているわけです。でも、それが何かはわからなかった。今やっている仕事も自分のやりたい仕事じゃなく、頼まれたからやっているみたいな感じだったんです。何となくやって、何となくこなしている自分を、絶望まではいかなけれど、自分不信ですね。「お前、そんなやつか・・・」みたいなところがあって、もう一人の自分が見ているんです。
新倉: 客観視してるんですね。観察自我。
オキタ: でも、答えがなくて、3か月くらい仕事を休んで反省しようと思ったんです。
新倉: 全く仕事には関わらない期間を作ったということですか?
オキタ: そうです。まあ、3カ月とはいえ、いつまでも休んでいられないので、引き継ぎをして1人になったんですね。それで、反省を始めたんですが、これが最悪で、自分がいかにダメかということを論評しようとすると、いくらでもできちゃうんですよ。半月ぐらいで「自分はこの世の中に必要がない」とうところまで結論が出たんです。死のうとまでは思わなかったのですが、消えた方がいいという感じになって、家と隣接する会社と近くのコンビニの3点をくるくる回る生活をしていました。
新倉: すごく狭い行動範囲の中で半ひきこもり状態のような感じですね。
オキタ: そうです。人には会わないんですが、人が生存確認のように来るんですが、「自分みたいな者と話をしても価値がないから、早く帰った方がいいよ。時間がもったいないよ」って感じなんです。目を見ても話せないうつろな状態ですね。そのうちに、当時はやった「ビリーズブートキャンプ」がテレビでやっていまして、ぼーっと見ていたんですね。2週間くらい夜な夜な、ビールを飲んでお菓子を食べながら見ていたのですが、脳内では自分がムキムキになっているイメージなんです。毎日見ているので、勝手に思っているんですね。でも、2週間後に鏡をみると逆でブヨブヨになっているんです。(笑)
新倉: ビール飲んでお菓子食べてたらそうですよね(笑)
オキタ: でも、脳内で起こっていることと現実のギャップが・・・自分が思っていたことでイメージは先行していくのに、実行しないことによって、現状は逆に退化してしまう。「生きテク」のプラン自体も元々あって、いろんな講演で言ってたりしたんですけど「オキタくんて言うだけだよね」みたいな… 友達とかがボソっと言ったのを地味に気付いてきづついてたりとかして、自分は確かに言うだけで何もやっていない。何故かというとリスクがあるから。こういうことをやるのって怖いじゃないですか。片やリスクがあるからリスクを恐れてやってない。やってないから何も起こっていない。けれど頭の中ではどんどんプランが進んでいくみたいな、このギャップで自分が自分不信というか、「結局おまえは何もやってない。言うだけだ」という自分不信になってまして、それはなんとなくわかったんですよ。
オキタ: 人からむかしうつ病が治ったという話を聞いたことがありました。それは、うつ病の人に何かをしてあげるのではなくて、それは、うつ病の人に得意なことを何かお願いして感謝すると良くなっという話を聞いたことがあるんです。例えばコロッケを作るのが得意な人に、「旦那がジャガイモをいっぱいもらってきて困ってる。あなたにコロッケを作ってほしい」と言うと、次の日50個とかコロッケが届いて、その人がケロッと治っていたということを聞いて、「自分が得意なことってなんだろう?」って考えました。僕は普段ブランディングの仕事をしてるので、それは得意なことだと思ってたんです。得意なことをやっていて、それは成果が出てて仕事が来てる。だから得意なことをしてお金をもらって、しかも好きなことをやってるはずなのに、何でこう自分がそのうまく正常な状態になれないのだろうという感じだったんですね。そこで、もうちょっと掘り下げていこうってことで 年代別に自分をどんどん掘り下げていって、一番原始体験は2つあってそのうちの1つは10年くらい前にヘブンズパスポートだったんです。それを作った体験が自分がソーシャル系にいくようなきっかけだった。
新倉: それはお仕事の一環としてやられていたわけですか?
オキタ: いえ、仕事の一環と言う感じもなくて、これをやったら世の中が変わるんだ、という感じでやっていました。「これをやったら世の中が変わるんですよ」と経営者のところへ行っても、みんなポカーンとしてました。当時は社会企業家とかソーシャルベンチャーという言葉もなかったので、「なんだ宗教か」と言われていました。
新倉: 純粋に世の中が変わるのでは・・と思ってやるなるほどね。
オキタ: 新興宗教みたいに迫害されたりしました。でも、自分では時間の問題で、絶対に世の中が良くなると思っていました。失敗という概念もなく、これは広がると信じ込んでいました。どうして信じ込んでいたのかはわからないのですが、結果的に1年半で15万人が使ってくれました。
新倉: 根拠のない確信はすごく大事です。明確な理由や理屈があるわけじゃないけれど、何かわからないけれども、絶対うまくいくという自分の感覚ですね。そういう感覚が生きている時は、物事が自分の思う方向へどんどん展開していく。
オキタ: 自分の個性や特性は何なんだろうと思ったときに、メディア戦略、ブランド戦略ができますというのはスキルの部分で、自分の本性ですね、例えば絶対音感のようなそれぞれの人が持つ得意分野は、社会の問題の解決策をぱっと思いつくことだと思います。これとこれを結び付けるとうまくいくんじゃないかということですね。でも、そんな仕事は世の中にはないわけですよ。社会の課題を解決しようなんてものは。それは国がやることであったり、政治家がやることなんですね。お客さんがいてお金を払ってくれるわけでもないですし、それを言っていたら変人扱いされますしね。それを10年くらいかけてフタをしていたんです。
それ以外にも高校生の時に「お笑い系の飲食店の事業」を考えていたんですけれども、これも自分の原点じゃないかと思うんです。
新倉: それは卒業文集みたいなものに書いていたんですか?
オキタ: いえ、事業計画として書いていました。ビルの階数ごとに江戸時代、鎌倉時代とかに分けたりしてですね。エレベーターがキーで好きな時代に行けるというコンセプトですね。他には「帰りたくない病院」とか(笑)
新倉: なるほどね・・・(笑)。
オキタ: そういった企画が原点で、今やっているブランディングの仕事との間に違和感がある。もう一つはソーシャル系の社会的問題の解決が原点なんじゃないかという違和感ですね。2つ選択肢があったのに、やりたいことをやりきっていないじゃないかという感じだったのかな。「生きテク」もプランとしてはあったのにやっていなかったりして、何かをすると、たたかれる、恥ずかしい、失敗するんじゃないか・・・といろいろな気持ちが、わっと出てきたんです。ところが、ヘブンズパスポートの時には、こんな気持ちはなかったんです。こうしたらたたかれるとか失敗するというのがわかってきたので、大失敗するというのは無くなったのですが、その後の10年でやってきたことはヘブンズパスポートみたいなスマッシュヒットはなかったんです。ということは、ロジックではなくて、ある種の狂気や思い込みのほうが結果的には勝つんだというのが体験的にわかるんです。
そうした良い勘違いみたいなものを取り戻すべきだと思ったんです。こうしたら失敗する、誰かに迷惑がかかるなどのいろいろなものを知りすぎたので、忘れるイメージを作っていきました。本当に忘れることはできないけれど、忘れようというイメージですね。
新倉: 面白いと思うのは、心理療法の中にもイメージ療法というのがあるんです。例えば、原因不明の体調不良の方のわからない胸のあたりにあるモヤモヤを、具体的にイメージしてもらって取り去ってみましょうということをやるんです。イメージをうまく使って誘導して取り去っていく作業をするんです。終わったあとにモヤモヤなくなりました・・・とか言われます。結構効果が現れます。全く同じ視点ですよね。オキタさんは既存の知識やロジックを1つ1つ忘れていくということをイメージし、それに惑わされないところで勝負をしたわけですね。
オキタ: だから、あの頃くらいバカにならなきゃいけないと思いました。ヘブンズパスポートも最初は徳島のフリマで売っていたんです。高校生に2時間くらいかけて1つ1つを。
新倉: それはすごく非効率的ですね(苦笑)。
オキタ: でも、40万人が参加するというイメージがあって、そこと方法がつながっていなかったんです。
新倉: 後先を考えないという感じですか?
オキタ: いえ、例えば、社会を変えるのは江戸時代の方が大変だったはずで、それに比べると今の方が短期的に社会変革できる時代だから、難なくできるはずという思い込みが半端じゃなかったです。そんな感じだったのをだんだんと思いだしてきたんです。思い込みが強かった分、いろいろな人たちが手伝ってくれるようになって、「東京で何箇所か置いてあげるよ」と言ってくれる人も出てきました。渋谷・池袋の東急ハンズとか、原宿のキティーランドあたりにです。それでも、半年くらいは売れなかったんです。これは何かわからないということで。普通だと返品されるんですが、担当者の人から「これは何かわからないからポップを書きなさい」と言われて自分で書いたんです。それを貼ってもらいました。これが広がると世の中が良くなるから売ろうと担当者の人たちも思ってくれて、雑誌の「セブンティーン」の来年流行りそうなものという企画の取材で紹介してくれたんです。それで使い方も載ったりしたので、じわじわ広がっては行ったのですが、なかなか爆発的には広まらなかったんです。それで、女子高生の会話を街に出て分析してみたら、全部が5秒くらいの会話で成り立っているんです。「お腹すいた」とか「あいつむかつくよね」とか(笑)
新倉: 今の若い子たちはみんなそうですよね、携帯世代だから(笑)
オキタ: それで、今まで2時間くらい説明していたのを、「これ100個良いことすると願い事がかなうよ」ということだけにしたんです。そうしたら広まってきて最終的に15万人ですね。メディアも追ってくれたりして。その過程を想像してなかったけど、確かにそうなった。
新倉: 「生きテク」のほうは具体的にどのくらいの目標を想定されているのですか?
オキタ: 年間3万2千人の自殺者を3年くらいの短期間で三分の一くらいにしようと考えています。その後このプロジェクトが役に立ったかどうかという検証期間を設けて効果測定のできる「生きてみるボタン」をつけて、「生きテク」を見るまで死のうと思っていた人が死ぬのをやめるというボタンをつけました。もう開設して二年半くらい経ちますが、「生きてみるボタン」を押した人が今1万2千件くらいになってると思います。
新倉: どのくらいアクセスした人が生きてみるボタンを押しているのですか?
オキタ: 月とかメディアに出た月によってばらつきがありますが、だいたい10万~30万ページビューのあいだを行ったり来たりしています。「目ざましテレビ」に出たりするとデイリーで30万PVありサーバーが落ちたりするくらいです。月に数千人の人が訪れていてその中で一月に200人とか300人が「生きてみるボタン」を押している感じです。僕らの仮説ですけれど、自殺者の10倍の自殺の機会があるといわれています。30万件くらいの自殺機会があると、だいたい一割の人が実行する。1万2千件の一割くらいの人、つまり1,200人の人が機会損失をしていてその1,200人の人たちががほんとに消えてた人だろうと思っています。この世から「生きてく」サイトがなければ、本当は1,200人くらいの方は亡くなっていた方が、今は存在する。あとは事例の数をもっと増やすということが課題です。今はまだ64パターン全部埋まってないような状態なので。
新倉: まだ全部埋まってない状態なんですね。
オキタ: いま120事例くらいで重なっているのもあるので、これからは1千事例とか1万事例とかを集めて、最終的には10年くらいかけて4万事例くらいに持っていきたいです。今年ちょっとまたいろいろ仕掛けようと思っているんですけど、秋ぐらいを目処にいろいろとメディアに仕掛けを作っていって、知ってるという人を増やそうと思っています。ところで、この前もお電話をいただいて、その方の弟さんがうつだったんです。たまたま職場の人に「弟がうつになっていて」と言ったら、その職場の人が、「『生きテク』って知ってる?」と言われて、それを弟に教えてあげたら、いろいろ試行錯誤して元気になった。元気になったので何か手伝いたいと弟が言ってるんですけど、「何か手伝えることはありませんか?」と言われました。
新倉: オキタさんの「生きテク」を何かしら手伝いたいと?
オキタ: そうです。このように何人か集まったら「生きテク」を知ってるという状態は、かなりいいと思っています。「生きテク」を始めたときは、問題解決の方法を集めて、それをカタログ化して提示することだけを考えていて、インターネット上で実現させようとは思ってなかったんです。その時はとにかく解決策のパターンをもっと提示させようとして、8種類分類できるとも思っていなくて、項目だけどんどん追加していきました。とにかく解決した人はたくさんいるはずだと思っていて、これをうまくマッチングできないかなという感じでした。解決した人と悩んでる人。人なのかケース事例なのか何でもいいと思うんですけど、それを図書館みたいに事例がファイリングされていて、バサッと開くと全部解決事例が現れるみたいな。
新倉: 自身の問題ケースに行き当たるかということですか?
オキタ: 世の中で自分が悩んでいることって、誰かが絶対に解決しているはずなんです。世の中のすべての悩みや苦しみって、個人が抱える悩み苦しみってどこかでは解決しているはずで、それは何十年も何百年も何千年も前から人間の悩みってそんなに変わってないだろうと思っていて、この解決策を集めていくと時間が経てば経つほど価値が増していくというか、完全な問題解決のアーカイブというか、これが誰でも自由に手に取れるようになると、理論上個人の悩み苦しみがなくなっていくはずで、そういうことを実現させていきたいです。個人の悩み苦しみが無くなるというと宗教っぽいので、苦しみや悩みは氷山の一角で、この水面下に大きな個人の悩み苦しみがあって、これが三分の一になるとこの下の悩み苦しみも三分の一になってないとおかしい。それを実現できるんじゃないかと思ったんです。ただ、まだトライしていないんです。踏み出そうという時にブレーキがかかるんです。でも、踏み出さなくて何もしなかった一年半後というのをイメージしたんですね。そうすると、その時何もやっていないので、自分で自分のことをもっと嫌いになってるだろうと。ところが、トライした一年半後っていうのは、いろんなことも起こるだろうけど、それによって救われた一定数が生まれていて、それはかけがえのないものになっているだろうと。だから、こっちを選択しようという決断が、その時だと思うんです。
新倉: じゃあリスクはあるけれども、やれば救われてる人が実際に出てくるのだろうから何もやらない自分ではなくて、何かやる自分をとってみようと答えを見出したのですね
オキタ: ビリーズブートキャンプじゃないけど、何かトライしない限り、やらない限り変わらないという感覚は残っていて、やらないとブヨブヨになっちゃうんです。それは何となくわかっていて、あのインパクトは大きかったです。イメージと現実がかけ離れていくという感覚がです。その時には戻りたくないです。
新倉: ビリーのようにムキムキになりたいというイメージとブヨブヨの自分とのギャップがすごく大きいと言ったじゃないですか。人の悩みの多くって基本的にはこうなりたいという理想の自分と、実際の自分とのギャップで苦しい部分であると思うんです。例えば若い女性だったら、きれいでありたいとか細くありたいとか、そういう願望を持っているでも、実際はそうじゃない自分がいたりすると、その差をどうやって縮めたらいいのか。ダイエットをしようとか、プチ整形とかいろいろと手段はあって、それを実行できる人はある程度理想の自分に近づいていけるところがある。でも、、行動ができないという人もいるじゃないですか。その人はそのギャップに苦しんだまま悶々と日々を過ごすことになってくる。その苦しみは抱えたままどんどん重くなってくるし、どうやって解決したらいいのか術もわからない。行動力があって動ける人もいるけれど、その人の現状によっては行動ができない人もいるというのが実際の世の中だと思うんです。でも、何らかの方法で自分の中のギャップを埋めることが可能になればいいわけです。、例えばカウンセリングをしていく過程で、理想ではなく現実のこういう自分でも良いんだなとか、選択肢の多様性の中で、固執していたひとつの理想像以外にもこういう姿もありなのかなとか、カウンセリングはそういったことを提供していく場かなと思います。本人がありたい自分と実際の自分の不一致で人は苦しみを抱え、行ったり来たりするんでしょうね。だからオキタさんが、もしビリーをテレビで見ていなかったとしたら、どうなっていたのかな? そういうイメージができたのでしょうか? ご自身でどう思われますか。
オキタ: いや、偶然ですよね。
新倉: 要するに、そのテレビ番組をたまたま見ていたのも、一つの「出会い」なわけですよね。でも、それはある意味でオキタさんにとって必然ですよね。人の生きる過程で起こる様々なことというのは、数々の偶然、人はそれを「偶然」と呼ぶけれど、私はいつも「それはその人に起こるべくして起こった、会うべくして会った必然ですね」という話をします。そういうことの積み重ねで、何かが変わっていくきっかけみたいなものをつかむことができるんじゃないかなと思うんです。だからあの時ビリーの日本上陸が1年早いか遅いかで、それを見るチャンスはなかったわけだからそういう時期に放映されていて、オキタさんが見ていたっていうことは、やはり何かしらの必然性を感じますね。
オキタ: ヘブンズパスポート以降10年くらいソーシャルで自発的なプロジェクトをやっていなくて、全てクライアントのいる仕事をやってきたんです。そこで、どうしたら失敗しないかという小馴れた方法も記憶としては残っているんだけれども、それを選択しないという、前の10年は全くわからなかったけれども、今回はある程度次にこうなるとかだいたい予測がつくんです。いろいろな意味で再現性があってやりやすくなったとは思うんです。意図的に作り出せるようになってきたかなと思います。この10年は非常に重要な10年なんです。仕事もして、落ち込み、やりたくない仕事もやり、自分不信にもなり、それがなければ落ち込んでいる人の気持ちなんてたぶんわからないだろうし、それがこういうプロジェクトにも反映されているんです。片やヘビーユーザーというか当事者の自分がいて、どうしたら解決できるんだろうと常にウォッチしている。もう一人はこの人を何とかしてあげたい、こうしたらもっとメディアに取り上げられると客観的に見ているプロデューサーの自分がいるんです。
新倉: それはすごくいい状態だと思います。問題を抱えていると、それだけでいっぱいいっぱいになってしまって、何も見えない。でも、今おっしゃったように客観視できる自分がいると、視野が少し広がります。私もクライアントさんに良く使いますが、あなた自身の問題としてではなくて、同じような問題で悩んでいる家族や友達がいたら、どんな風に声をかけてあげますか?と聞いてみます。そうすると、自分自身には言えないんだけれども、他者であれば「こうしたら」とか、「そんな風に考えることないんじゃないの」という話が出てくるわけですよ。そうすると「何で他者には言えるのに、自分自身に、そう言ってあげられないの?」ということになるじゃないですか。人って面白いことに、客観視して自分の状態を見ることができれば、そうした言葉を自分自身にかけてあげたりすることも可能になるわけです。「しょうがないよね、あなたのせいじゃないじゃない」って自分自身にそう言うことができれば気持ちも軽くなる。プロデューサーとユーザーという言葉を使われたけど、2つの自分がいて、その都度うまく機能するというのは、非常に良い状態だと思います。ところで、「生きテク」に関してはWebと本ですよね。ユーザーの方は直接は見えませんがその辺はどんな風に感じますか?
オキタ: 仮説として、ばらばらに飛び散っている問題解決の方法を全部集めたらどんなものなのか?プロデューサーとしての自分は興味あったんですね。全ての悩みとか苦しみを解決した集合体というものを。悩みを相談すると、「はい、これが解決策ですよ」とすぐに出てくる。「あなたと同じ苦しみを抱えている人は2年くらい泣き暮らすと解決しますよ」というのがわかると、「自分と同じタイプの人はこうして解決しているんだ」と、そういうものを見てみたいというのがありました。逆に相談窓口を全国に作るとかは僕らにはできないんです。でも、情報収集はキーになると思っています。まず僕らは情報収集をして、それを可視化しようと。それで、この本を出して、54事例載っているんですけど、やっとカタログになった。「生きテク」の前は、問題解決した人はたくさんいるんですよ、と言ってもイメージできないんです。でも、今は「こんな人はこうして解決した」と言えるようになったんです。人もイメージができるようになった。たまに投稿とかでほぼパーフェクトな状態で「生きテク」に原稿を送ってくる人がたまにいるんですが、初めのころは「生きて」とか「頑張って」というものでしかなかった。イメージできてないんです。そこで、1つずつ集めて、「これが『生きテク』ですよ」と見える化しないといけないと思ったんです。ですから、ある程度は自力で集めるようにしました。僕の周りにも結構いて、誰にも話していない体験談を「それ『生きテク』です、インタビューさせて下さい」ということで出してもらうんです。それで結構集まったんです。ただ、これからトライしたいことがあって、「生きテク」のURLとかを送ってあげると、うつの子が治ったとか、引きこもりの子が出てくるようになったとかを聞くんです。実際には会っていないんですけれど。ただ、そうした子からメールが来るようになったんです。「ああ、死ぬことはないんだな」とか。でも、匿名だからプロフィールはわからない。そうした人たちの前に解決策を提示してみて、何人くらいの人が解決していくのかを、これからは検証したいと思っています。「いのちの電話」もほとんど電話がかからない。100回かけたら1回くらい繋がるらしいのですが、その待っている間に「生きテク」の事例をランダムに流すのはできませんかという提案をしています。彼らも全てに対応できていないので、電話を取る前にそれを聞いた人が解決するかもしれない。彼らとしてもメリットがあり、僕らも「生きテク」を知ってもらうメリットがあり、どこかのタイミングでやりたいです。いろいろなところと連携しながら「生きテク」をやっていきたいと思っています。ハートコンシェルジュでも年間2000事例くらいのカウンセリングがあるそうなので、その中で解決した事例を僕たちにも教えてほしいと思っています。
新倉: 最終的には生きていくためのテクニック、その人その人に合った対応策でが全部集まったらこれは完成ということですか?
オキタ: 完成というものがあるのかどうかはわかりませんが、ある程度のラインは超える瞬間があるのかなと思っています。旬な悩みとかがあると思うのですが、そうしたものは時代によって変わっていくかもしれませんが、何十年も蓄積していけば、もうそんなに変わらないよね、という瞬間が来ると思っています。あとは、これから海外の事例を集めるスキームを考えています。世界中にも広めていきたいと思っています。パラダイムを変えられるということが見えてくると面白くなるのかなと思います。
新倉: 今日はどうもありがとうございました。