カウンセラーの対談

第29回 高山広氏、向後カウンセラー対談<第3回>

高山広 プロフィール

高山広氏 シンガー ソング ライター のような「アクター ディレクト ライター」
1963年10月29日生まれ。宮城県出身。

88年、自作自演による活動を行うためのユニットNON GATE THEATREを旗揚げ。
92年からスタートした数本立てショートストーリーの一人芝居シリーズ『高山広のおキモチ大図鑑』は、人間や動物、昆虫といった生物はもとより、ありとあらゆるモノ(花火、パチンコ玉、歯ブラシと雑巾、傘、爪切り、たばこ、信号、消火器、星・・・)や概念(昨日さんと今日さん、ウソ君とマコトちゃん・・・)まで演じながらその「キモチ」や機微を描いてゆくという作風で「一人芝居の概念を変えた」と評されています。
作品数は500にのぼり、数分のショートショートから、2時間を越える超大作まで「批評性と文学性と生の感情と生活感覚のある」作品群は現在もライブのたびに増え続けています。

俳優・高山広としては、NHK朝の連続ドラマ『あぐり』『すずらん』『天花』等に出演し、多くの視聴者が感動する演技をみせました。
舞台での客演も多く『ビギン・ザ・ビギン』で森光子氏と帝国劇場で共演、ミュージカル『火の鳥』(原作・手塚治虫)、KOKAMI@networkVOL3『恋愛戯曲』(鴻上尚史 作・演出/永作博美主演)、グループ る・ばる『ああ結婚~昨日今日明日~』(松金よね子、岡本麗、田岡美也子)にも出演するなど、幅広く活動してきました。

劇作家・演出家としても、二人芝居『笑い屋キャリー』(作・演出)を青年団、志賀廣太郎氏と人村朱美氏を招き公演する他、若手俳優陣が出演するプロデュース公演の作・演出も手がけてきています。
また『友情 カマキリ篇』等、作品を数校の高校演劇部、劇団に提供するなど劇作家としても注目を集めています。

小学生や幼稚園児に向けた、参加型ワークショップ形式のパフォーマンス、保母・教員向けの勉強会での講演・身体表現のワークショップ、中学生・高校生の芸術鑑賞会、メンタルクリニックのデイケアなどにも招かれるなど、これまでの創作・表現活動をもとにした活動も積極的におこなってきました。

また、通常の公演とは別に都内二カ所で毎月「バーライヴ」も展開中。
飲食店、体育館、山小屋等々・・・招かれればどこへでも出向いて行き、地方を含めた各所で老若男女「演劇未体験者」の観客をも魅了し続けています。

ブログURL:http://ameblo.jp/okimochi/

 

インタビュー第3回

向後カウンセラー(以下 向後):ショック状態になったりすると目が動くんですよね。また、現実を見たくないというような状態になると、見てるようで見てなかったり。視線がはずれたり、目が合っているんだけど焦点があっていなかったり、現実から浮遊しているような状態だったと思うんですけど、高山さんの演技に対してクスクスが始まった時、お客さん達は、地に足がついてきたんでしょうね。

高山広(以下 高山):ずっと見てくださっているファンのみなさんとかもいるわけですよ。その人達は、気を使って笑えないんです。僕を観に来たんだけど、いつものようには絶対笑えないんだという感じなんですね。そんなにみんな気を使う状況だったんで。

向後:いや~、そうですよね。そんな状況の中で、よくやったですね。

高山:(依頼いただいた時)断る訳にも行かないし、気持ち的には断りたかったです。はい。無理だと思ったんで。

向後:そうですよね~。開催を決めた教頭先生とか腹が座っていて、すごいですね。それに答える高山さんもすごいですよね。

高山:いえいえ。でも、今から思うと、すごく不思議な体験をした気がするんです。絶対できるって思ったんですよ。絶対できるって言うのは、僕に能力があるっていう意味ではなくて。たぶん、これ、普通に数人でやる演劇や、文芸作品とか・・・例えばチエーホフとか持って行ったり(笑)、ありえないですけど、例えば、サムエル・ベケットとかの不条理劇(笑)とかを、たとえは悪いですけど持っていってすむ話しじゃないじゃないですか。まあ、先生方も私のひとり芝居を何回かご覧になっているから、笑いもあるし大丈夫だろうというご判断だったんだと思うんですね。もう1回電話がきて、「やっぱりお願いします」って言う話しになったときに、これは、やらなきゃっていうんじゃなくて・・。そのときはやりたくないんですから、怖くて。だけど、電話来たときに、ああ、これは絶対できるなと思ったんですよ。これもう、本当に不思議です。自信とかじゃなくて、なんか・・。

向後:確信みたいな。

高山:例えば、今ここにお茶が入っているから、のどかわいたなと思ったら、当然手が行くみたいな感じに、確実にそこにあるものだから何の躊躇も無く・・。「お茶とれるかな?」と思わないじゃないですか?そんな感じの不思議な感覚だったんです。話しが来たときに、「これはできる」と思ったんですよ。で、そこで悩んじゃったんですよ。なにできるって思ってんだって。できないって思えば、すぐ断れたのに・・。そこで、返事をして、不思議な体験でした。おまけに、「高山さんもがんばって」って逆に励まされちゃったんですけど・・ギャラくださいって言ったら鬼だろうなって(笑)。

向後:ノーギャラでやったんですか?

高山: 文化庁の方は、薄謝が出てるんですけど・・(笑)。
「よし」と思ったんですね。まあ、なにか少しは助けになったかなと思って。被災地で一度演じることができたので、一旦手を引いて、そっとフェードアウトして、時間かけてお話をいっぱい作って、完成度が高くなって、もっと騒ぎが落ち着いてきて、みなさんも落ち着いた頃になんとか考えようかななんて帰りは思っていて、「1回だけやれた。よかった。もうやらないぞ」なんて思っていたら・・。
別なところから、まさに鮎川、鮎川町というのは女川のとなり町で、よく海水浴なんかに行ったことのある町で、そこで復興祭をやるってことなので、再び行くことになったんです。それは、震災から4~5ヶ月たったころでしたか、そこでいろいろ、本当に地震で傾いちゃった公民館の前で、ブースを作って、まあ、炊き出しもそうなんですけど、地元のマイケル・ジャクソンのそっくりさん・・そっくりなわけないだろっていう人が出演して・・(笑)。

向後:そう言う人がいるんですか?

高山:ま、白塗りでダンス上手で・・。

向後:白塗りなんですか?黒塗りの白塗りなんですか?複雑!

高山: だからもう、複雑なんですけど。それは、もうこっち(東京)の方たちが、協力してくれと要請されたということでしたし、女川のとなりだということもあって、「行きます」って言ってしまったんです。1回その評判が良かったものですから、気を良くして言ってしまったんです。これとこれとこれなら、絶対喜んでくれるだろうと・・。勇んで行きました。
しかし、雨だったです。当日。屋外です。

向後:屋外!

高山: それで、あの、テントが一応ありまして、運動会のときに父兄が座っている、PTAとかが座っている、ああいうテントがありまして、ただ、演じる所は外なんですね。マイケルが踊ってたり歌ってたりしていたときにはまだ晴れていたんです。私の出番のときにどうやらぽつぽつ来だして、それもそうなんですけど、みなさんもういろんな音楽が来たり、それこそ芸能人が来たりしていたところなので、ある意味お慣れになっていて、「今日はだれが来てくれて、何やってくれるんだ?」みたいな感じで、これ悪口じゃなくて、人間ってやっぱりそうなるんだよってことなんですが、土地の人に教わったんですけど、「変な話しもらい慣れちゃってるから、『今日なにしてくれるんだ』って感じなんですよ」って言うから、「ああ、もうそりゃあそうでしょう。でも、僕は押しつけじゃなくて、ちょっとでもなんかになればいいと思って勝手にやるんですから」とお話ししていたのです。
マイケルはやっぱり人気があるので、そこそこ観ていたんですけど、マイケルが去って、司会の田舎のオジサンが、「みなさん東京から、演劇の大先生をお呼びしました」と言うと、「えっ、演劇」という声がする訳です。「一人芝居をこれからやっていただきます」と司会のオジサンがアナウンスすると、「演劇だって。行こう行こう」というわけで、ひとり立ちふたり立ち、別のブースのうどんのコーナーとかそっちの方に行かれてしまい、こっちには、もうふたりぐらいしかいらっしゃらなかったんです。それで雨降ってきて、呼んだ側が真っ青になってオレに悪いって顔をされていて・・。うちの兄貴はもう、「やめにしよう」って合図を送ってくるんですよ。で、そのふたりのうちのひとりも去って行かれ、おひとりお年寄りがいて、ぽつんと。それで、そのときに、まあやめても全然OKだったんです。その方も、見てる訳じゃなくて、うどんをすすって、雨宿りしている程度なものだったんです。でも、やってて、ちょっと意地もありました。

向後:続けたんですか。

高山広氏高山:これやらなきゃって思ったんですね。だけど、うちの兄貴は、こいつ気が狂ったんじゃないかって思ったらしいんです。だってだれも見ていないのに、なにやってんだと言われたんですけど。僕はそのときに、不思議だったんですけど・・。僕のやっているステージから見えるのはがれきで街がなくなっちゃっているんですけど、その先にはずどーんと今となっては穏やかな海が見えて、こっちにはえぐりとられた家屋があって、その後ろには普通に山があって、演じていると、その真っ正面に曇ってきたんで灰色の海が見える訳です。で、最後の作品として、歯ブラシの話しをやったんです。

向後:あー、歯ブラシの話しですね。

注)歯ブラシの話し:高山さんが「歯ブラシの一生」を演じる題目です。

高山: そうです。あれをやりかけたときに、「あれっ?」と思ったんです。ふと、地への鎮魂も必要なんじゃないかなということをひらめいたんです。しゃべると声が山から反響してくるのに気づいて、「あっ」と思ったんですよ。これ、街が全部聴いてくれているから、言葉は、ここに当てるんだと思ったんです。これは、やっている意味絶対あると思ってやったんですね。
そうしたら海から、暖かい風がふわぁ~と来たんですよ。終わりぐらいに。それは全く普通に自然に風が来たんですけど、すごく暖かくぽんっと来たものですから、声のベクトルを変えたんです。ワークショップとかでよくやるんですけど、例えばインターネットのボタンに向かって意識してしゃべるというのをやるんです。そうすると(声が)そこに向かっているとしか聴こえないないんです。人間はそういうのを感知できるので、あっこれだと思って、この地に向かって演じようと思ったんです。そして、これが今日僕が一番やりたかったことなんじゃないかって思ったんです。山は全部この悲惨な状況を見ていて、風光明媚だった頃も見てきたし、この地面はやっぱり嘆き悲しんでいただろうし、ましてやあの海はあんなに穏やかなのに、来たのはあいつなわけなのだしと思ったときに、あー、やってやろうと思いまして。そこにあるいろんなところに芝居のいろいろな大事なメッセージを向けていったんです。これたぶん、すごく原始的ななんか祈りじゃないですけど、昔のそういうことに近いんだなと思って・・。
まわりでは、主催者はしょんぼりして、「高山さん呼んで悪いことしたな」って顔なんですよ。司会者のオジサンは「がんばれ~」と拍手してくれたりしますし、うちの兄貴はもう頭を抱えていて、終わったら「はいはいご苦労さん」のあとに、「お前何やってんの」って言うんですよ。「いや、おれね、ちょっと気取った風に受け取らないでね、山とか地とかがね、やっぱりまだ収まっていないから、この鎮魂に少しでも役立てばいいと思ってやったんだ」って言ったら、「あーそうか。だからやっていたの?何やってんだろうこいつって思ったんだけど・・」という形だったんですけど、それがもうひとつの不思議な体験でしたね。

向後:それはすごい体験ですね。

高山:で、またそこで、向後さんの笑いのタネ用にお話ししますけど。

向後:ナニナニ?

高山:そのときの司会のおじさんが、ひとり減りふたり減りしていったのにあせったのでしょうね。僕が「かたつむりの全力疾走」というネタをやっていたら、「見てください、この汗、雨じゃないんです。汗なんですよ~!見てくださいっ!すばらしい芸を!」とかはじまっちゃって。

高山、向後:ははは(笑)。

高山:演技中にですよ!「さぁ、牛が転びました。立つんでしょうか?」とか、いろんなことを、思いあまって言うんですよ。こちらは芝居中なので「やめてくれ」って言いたいんですけど、そういうわけにもいかず・・。

高山、向後:ははは(笑)。

高山:そして一番あれだったのは、歯ブラシのときに下が、ブースがちょっと粗末な作りだったんで、揺れるんです。そうしたら、その司会者のオジサンが「やっぱり揺れますか?」って言うんですよ。芝居中なんですが、「大丈夫です」って答えたら、「大丈夫、大丈夫。ちょっとやそっとの揺れは、ここらへんは慣れてるから」って。それで、会場に向かってその司会の人が「余震で慣れています」って言うんですよ。それで笑えるわけないじゃないですか、僕が。

向後:そりゃあ、こまっちゃいますね(笑)。

高山:もう、「私たちは余震で慣れていますから、揺れたって大丈夫大丈夫」なんて言われて、どう返したらいいか・・。すみません、こんなとりとめの無い話しで(笑)。

向後:いやあ、いいんですよ。とりとめのないやつ、どんどんやってください(笑)。

高山: どこかの国の方だったか、日本のお坊さんだったか1年経つか経たないかのときにどこかでおっしゃっていた話しなのですが・・。その方が、「やっぱり地の魂も鎮めてあげないと。嘆き悲しんでいるし、見つからない人もいっぱいいるわけだし、わーっと水が引いていった女川のトンネルのようなところに皆さん入っていらっしゃるのでしょう」と言っていたんです。今でもみつからない奥さんについて、「うちのかあちゃん、たぶん、あそこにいると思うんだ」なんて明るくおっしゃるのですけれど。そのお坊さんか聖職者の方が、「宗教を超えて、土地に来て鎮魂をすべきじゃないかと私は思う」とおっしゃったんです。
僕はその、当たり前だと思うんですよね。それが、僕がほんとに理屈抜きで感じたことなんですね。自然の中で生かされているって簡単に僕なんかも口では言うけど、こういうことかと・・。やっぱり切り離しては考えられないと思ったので・・。
まあ、そこに呼ばれていって、無人になってしまった自分の空しさを、理屈付けているだけかもしれませんが(笑)。

向後:いやいや(笑)。

高山:何しにきたんだろうって思っちゃいました。まったくオレらしいなって思っちゃいましたけど。

向後:でも、よくやったですよね。司会の人もいい味出しているなぁ。「牛が転がりました」って言うのも・・(笑)。

高山: いちいち描写してくれるんです。やっぱり、最後に僕がぐっときたのは、雨がふりしきるなか、パチパチパチと拍手するわけですよ。最後まで見てくれた司会のオジサンが「ありがとう!ありがとう!」って。遠くにいる観ていなかった人たちに向けて、「私感動しました。一生懸命やってくれました。私は、この一生懸命に感謝します。皆さん、恩返しのために」って言って、「高山さんがもどってきてくれたときには、みんな、今よりうんと元気になっているように。みなさん、これから、元気になりましょうねー!」とマイクで叫んでらっしゃったことで非常に僕はむくわれたというか。
励ましに行って、励まされて帰ってどうするんだろうかなということもあるんですけど(笑)。

向後:ひとつひとつが、貴重なシーンですね。

高山:そうですけど、ただ、他のミュージシャンの人とか、いろんな避難所とかで、涙ながらにみんなと交流しているシーンなんか拝見していると、オレがやってきたことはなんて間抜けなんだろうって(笑)。

向後: いやぁ~、そんなことないですよ。言葉にならないなぁ。高山さんだからできたことなんじゃないかと思います。地への鎮魂。
そして、その後も、続けてやってらっしゃるんですよね。

高山: はい。そんなわけで、やっぱり、仙台の都市部でも、郡部の方には見に行かれないという人もいるので、市内でもやんなきゃということで、2日間市内の劇場でやったりですとか。また、病院のちいさいところですとか、という感じでやっていますけど。最近はなんか、「ちょっと元気づけていただけますか」というオファーは無くなりましたね。だんだん落ち着いてきたということで、それはいいことなんだと思います。
僕の方からコンタクトするのではなく、向こうからオファーが来たら行くという感じです。

向後:あ~、それがいいのかもしれないですね。

高山:人づてに、前来てもらったんだけど、またお願いできますかって感じの話しが多いですね。でも、震災のこと、特に子ども達がやはり気の毒だし、何らかの形で子ども達とか学生さん達になにかできないかなと思います。学校に行く機会はけっこう多いのですけど、やはり元気ないですね。実は、被災地に限らないのですが。優秀で元気で甲子園に出るような子たちは、もちろんちゃんといますけど、なんかうつろな感じの子が多くて・・。

向後:身体に反応が出る子どもが多いみたいですね。自分ではあんまり言わないけれど、例えば、「平気です。平気です」って言うんだって。だけど、やっぱり身体に出てきてね。そこから、どうしたのかなということで入っていくということが多いようです。これは、被災地のスクールカウンセラーの人たちから聞いたのですけどね。うつろな感じなんですね。

高山: 僕には、そう映るんですよね。で、だから例えば、目の前で話しをしていて、子どもが「はい、はい」って言っていているときに、目の前で手を叩くと、「はっ」とするんですよ。「今『はい、はい』って返事したよね」と言うと、「えっ?」となる。そこでちょっと俳優のテクニックを使って、芝居の一部なのか、実際に話しかけられている普通の会話なのかをファジーにした感じで、またあえてその子がいる方向へ「・・・で、さっきの話し」とか言ってみたりする。するとようやく、「えっ?え?これはどっち・・・お芝居のセリフ?それとも話しかけられてるの私?」と判断しようとその場に焦点を合わせようとし始めるんですね。
だから、一人芝居という利点を生かして、ここにそういう対象物がいるということでみんな了解して見ているときに、たとえば、向後さんがお客さんだとしたら、向後さんに向かって「うろちょろするんじゃない。いいかげんにしろ。お前に言っているんだよ」みたいなことを言うわけです。これはお芝居の中だからと思っているところを利用して、「お前だよ、お前。黄色のリボンの」と言うと、「えっ、」となるんです。まあ、被災地での公演中はやらないんですけど、ワークショップのときに、言ってあげると、はじめて現実と一致するような目をするんですよね。子ども達は「聞いてたんですけど・・」と言うんですが・・。そこで、「聞いていたんだろうけど、聞いていたように見えないんだよ」と言うと、「え?」という顔をするんですよ。
そこで、「ここ大問題だよね」・・という具合で、ワークショップのときには、「なんで聞いているように見えないんだろう」ということからはじまって、そこから30分くらいその話しになりますよね。

高山広氏向後:被災地ではその傾向がより顕著かもしれないですね。たぶん、解離って言うんですけど、魂がどこかに行っちゃっているような状態なんでしょうね。

高山:そんな感じですね。どこかにいっちゃっている感じなんですよ。だから、ひゅっと戻ってくる。

向後: この対談の最初の頃に出てきた目がキョロキョロする大人(対談第1回参照)も、解離を起こしているのでしょう。だから、相当ショックが残っているのでしょうね。表面的には元気になっていてもね。
でも、お話聞いていて、ある種ちょっとうらやましいという気持ちもあります。そこまで被災地の人たちにかかわれたらすごいなと思うんです。僕なんか中途半端だったなと思っちゃいます。

高山:いやいやいや。

向後:僕がやっているのは後方支援みたいなもので、こっち(東京近郊)に来ている人たちへの無料のカウンセリングとか、救援活動をした人たちのケアとかそういうことをしているんですけどね。

高山:よっぽど、直接的な気がします。

向後:いやいやいや。

高山:僕らのやっていることなんて無くていいことですからね。押しつけですもの。そことの悩みで、やるしかない。そもそも、これはすっきりしてやることではないからなんですけど。ホント、迷って迷って迷ってやっています。こんなこと偉そうに言っていていいのかと思いつつも、でも言葉は生き物だから、力をみなぎらせることもできれば、そうでないこともあるわけで、だから言葉を選んで、それを書いて、音できちんと相手とかお客さんとか場所に当てていかないとなと思うし・・。

向後:被災地でのサポートって、変なテクニック使ったって絶対できることじゃないと思います。そんな、1ヶ月後に被災地行ってなんかしなさいって言われてもほいほいとできるものではないですし・・。高山さんにしかできないことだったのではないかと思いました。今日は、とても貴重なお話をどうもありがとうございました。

高山:本当に穴があったら入りたいですよ。こんな話しでよろしかったでしょうか?

向後:とてもよいお話しが聞けたと思います。さて、続きは・・飲みに行きましょうか?

高山:そうしましょう。

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